こんにちは!太宰府魅力発見塾塾長の福田です。
先日福岡市中央区今川にある平野神社と西公園にある平野國臣の銅像を見に行ってきました。
平野神社
住所:福岡市中央区今川1丁目
平野國臣先生誕生地
平野國臣
1828年福岡藩のこの地に誕生。1858年国家統一、勤王の志を抱いて脱藩。1864年京都六角堂にて刑死。37年の生涯を閉ず。
御祭神:平野二郎國臣大人命
平野神社
「我が胸の 燃ゆる思ひに くらぶれば 煙はうすし 桜島山」
我が尊王攘夷の思いは桜島の噴煙よりも熱いという詩ですね。
平野國臣君追慕碑
平野國臣誕生之地
平野先生遺〇松
記念の松でしょうけど〇の字は読めません
ここからは西公園
平野二郎國臣の銅像
~幕末期に討幕・国家統一を主唱~
平野二郎國臣像
平野國臣
1828~1864
~明治維新の礎となった福岡の志士~
安政5年(1858年)、井伊直弼の「安政の大獄」が始まると、平野は、懇意の僧月照を逃すため西郷と尽力。薩摩までたどり着きます。
しかし薩摩藩は、月照を「日向送り」(薩摩と日向の国境で切り捨てる=つまり死刑)と決定。
そんなことはデキない、と西郷は腹をくくります。
平野と西郷、月照の三人は船に乗り錦江湾を眺めながら酒を酌み交わす、と突如、西郷と月照は身を投げます。
慌てたのは平野。二人を引き揚げ、蘇生を行ったものの、息を吹き返したのは西郷だけでした。
松屋には西郷隆盛、僧月照、平野國臣の書が飾ってあります。
彼らはここ松屋から薩摩に入り上記のように錦江湾で身を投げることになります。
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▶fukuda0917@yahoo.ne.jp
塾長より
いつも記事をお読みいただきありがとうございます。
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これからも太宰府の魅力をお伝えしていきますので
応援よろしくお願いします。
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読みやすい解説イッキに拝見させて頂きました。
ありがとうございます。
松屋さんに遺る書、見るたび、涙目になります。
平野國臣さん研究者に
女性の、小河さんがいらっしゃいます。読み名をおがわとされてます。
幕末の黒田藩での偽札事件の責任とされた、小河氏(おごう)がいますが、この方の子孫さんが、
小河(おごう)氏斬首後には、読み名を、小河(おがわ)さんと変えて、苦労しながら、生きていた親族がいましたとのこと。
このご苦労されましたご子孫様にあたります。
この話を、ウッチャンにお知らせしましたら、メールで黒田藩の古文書を添付頂き、小河氏は黒田官兵衛時代から?かもの、古参武士とのこと。黒田藩直系は4代以降は血縁関係なしの養子ばかりで、古参武士は相当なご苦労されましたですね。栗山氏も、、、
盛岡の方と昨日メールしまして、塾長様のブログ送らせてもらいました。コロナウイルスで患者さんいないので、少しだけ安心していましたが、今朝の東北地方地震びっくりです。お大事に〜と祈るだけです。
啓子さんコメントありがとうございます。話しは広がっていきますね。
それにしてもうっとゃんの造詣の深さと資料の豊富さにはいつも驚くばかりです。
塾長様
コメント頂きありがとうございます。
ウッチャンに問い合わせなど致しましたら、直ぐに、お宝の中から、古文書の資料写真を頂けて勉強させて頂きました。
頭脳派の他には、ラガーマンで、足腰丈夫と、
国史跡大野城が里山、裏山ととても羨ましいです。
桜の水城土塁の素敵な写真を、コロナウイルス蔓延で太宰府をお訪ね出来ない身に取りまして、有り難い水城広報官でもあります。
うっちゃんは迅速丁寧でお世話が行き届きすばらしい水城の広報官ですよね!