こんにちは!太宰府魅力発見塾塾長の福田です。
筑前秋月藩の御用絵師 齋藤秋圃について。
齋藤秋圃
齋藤秋圃は京都出身。
1767年~1859年(92才)。1805年筑前秋月藩第8代藩主黒田 長舒に召し出され、1812年葵から齋藤に改姓。1828年(56才)隠居。1838年長男江戸で出奔、家名断絶。1843年太宰府に居を移す。墓は光明寺。
福岡で活躍した仙厓と交流が深く、一説には仙厓の師とも言われる。動物画、特に鹿の絵を得意としました。
作画期は上方時代、秋月時代、太宰府時代に区切ることができます。
双鹿図
秋圃は鹿の絵の名手であったと伝えられ、多くの鹿図が現存する。本図は現存最古のもの。
肥前綾部八幡宮社図
平敦盛図絵馬
弁慶・土佐坊図
齋藤秋圃旧宅跡
齋藤秋圃旧宅跡は現在国博通りの公園になっています。
齋藤秋圃が隠居後に住んでいたところといわれています。
国博通り(右奥の白壁の先が光明寺)
現斉藤邸
上の写真の 旧宅跡から20m位先の左側
塀越しにパチリ!
落着きのある黒壁
西鉄大宰府駅から国博通りへ行く途中にあります。
九州国立博物館が出来るときに国博通りを改修するため「齋藤秋圃旧宅跡」の石碑が建っていた旧宅を現在地に移設しています。
黒塀に黒壁の屋敷はとても落ち着きがあり重厚感のある建物です。
太宰府の三絵師
齋藤秋圃、吉嗣楳仙(ばいせん)、萱島鶴栖(かくせい)。
齋藤秋圃に師事した太宰府の町絵師の家系は二つあり、一つは宮町の吉嗣家、もう一つは大町の萱島家。
宮町の吉嗣家
住まいには五卿の一人 三条実美(後の総理大臣)が「古香書屋(ここうしょおく)」という号を贈り、その後会席料理店「古香庵」となり、現在は「古民家ホテル・カルティア太宰府」を開業。
扁額「古香庵」の文字は三条実美筆
大町の萱島家
▶fukuda0917@yahoo.ne.jp
塾長より
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秋月潘御用絵師にそんな実力者がいたんですね。
太宰府も常設の展示をしてもっともっと宣伝してもいいですね。
マドンナたちのハラバイさんコメントありがとうございました。
身近にこんな絵師がいたんですね。
もっと評価していいですよね。
お早うございます。相変わらず凄い調査能力ですね。敬服します。あの時代に92歳とは長寿ですね。葵という名前は、将軍家とゆかりがあったんでしょうか?沢山の史跡がこんな近くにあるなんて素晴らしいですね。ありがとうございました。
マンデーかやさんコメントありがとうございます。
葵ですからね。関係あったんでしょうか。京都なら葵祭りもありますね。
いずれにしても由緒ある家系のようですね。
太宰府の絵師斎藤秋甫さんを、検索していました~
快適な解説ありがとうございますm(_ _)m
昨日、九州国立博物館へ行く道を、国博通りにしました~何年ぶりでしょう~懐かしいです~
角地の、斎藤家跡の案内石柱から曲がり、光明寺さんに行きましたら、びっくり(・・;)工事中なんですね~
だれからも、聞いてなかったから、土曜日に、お寺さん玄関は、しめられてて
石庭も、イマイチの風景でした。
斎藤氏の説明に、転載は可能でしょうか?
福岡市の啓子さんコメントありがとうございます。
光明寺は工事中なんですね。最近は玄関が閉まり入れても写真が撮れなくて寂しい気持ちいっぱいです。
ブログで使えるものがありましたらご遠慮なくお使いください。
塾長さま
ありがとうございます
m(_ _)m
最近Facebookでオール門司港グループさんとの交流させて頂いています。
投稿記事なくて、家周りのことなど載せましても、
いいね!頂いています~
少し前には、
2つのバッチが投稿者のところに、付けて頂いています~???、
先日の国博の通り、角にあります案内石柱の、写真説明に、江戸時代の有名な絵師斎藤氏のことを書き入れましたので、
説明にいろいろな検索結果見ましても、
こちらの塾長さまのご解説が、一番理解できますので
オール門司港グループさんには、一応、塾長さまのことをご紹介させて頂来ました~
ブログの転載ご許可して頂きありがとうございますm(_ _)mm(_ _)mm(_ _)m
秋圃さんは何歳までえをかかれてあったのでしょうか?うちに92歳と書かれた虎の掛け軸がありました。
愁也さんコメントありがとうございます。
斎藤秋圃は1767〜1859になっていますので享年92才のようですのでそれこそ最晩年亡くなる年の作のようですね。