こんにちは!太宰府魅力発見塾塾長の福田です。

今回は前回に続き長崎平戸に行ってきました!「パートⅡ」です。

 

平戸城

 

平戸松浦家26代鎮信1599年亀岡に「日の岳城」を築きました。

現在の平戸城は平戸松浦藩30代雄香公棟により1718年の再築によるもので、山鹿流の縄張りにより日本唯一の平山城であります。雄香は号、名は棟(たかし)。

 

山鹿流の概要

山鹿素行(やまが そこう)が始めた兵学の一派。
朱子学や儒学、兵学、古学などが統合されていて、元禄赤穂事件の頃の江戸時代のような戦いのない平和な時代に、武士としてどのように生きるべきかという日常的な心得えが「士道」という理念としてまとめられています。

浅野内匠頭の父親が、家臣を含めた浅野家の教育係としてこの山鹿素行を赤穂藩に呼びました。山鹿素行の教育を十分に受けた内匠頭や大石内蔵助ら家臣の多くは、この山鹿流に心酔しました。赤穂義士たちの信念を形作ったのは、この山鹿流といっても過言ではありません。

兵学としての山鹿流の作戦で有名なのが、「一手別手(いってべって)」「一向二裏(いっこうにり)」
一手別手とは、表面上の作戦を立てて実行しているときに、同時に別の作戦を立てて実行するというもので、ペルーの大使館での人質事件の時に、表面上では犯人たちと交渉しながら、こっそり地下トンネルを掘って突入しようとしていたというような作戦が、まさに一手別手であります。

一向二裏とは、強い相手には1対1で戦わず、正面に1人、後ろに2人と取り囲むように戦うといった作戦で、吉良邸討入の際にも使われました。

山鹿流の伝系

素行の兵学直門は140名くらい。直系、血縁者で山鹿流を受け継いだのは、平戸藩の山鹿男系と、津軽藩の山鹿女系です。肥前国平戸藩では山鹿素行の一族の山鹿平馬が家老に、素行の次男である藤助が兵法師範に採用されて山鹿流が伝来、平戸松浦藩学として栄えます。

映画やドラマの中で、大石内蔵助が山鹿流の陣太鼓を叩きながら討ち入りしますが、実は、あれは創作です。一打ち二打ち三流れと言われる山鹿流の陣太鼓ですが、討ち入りの時には太鼓すら持っていませんでした。討ち入りの後に、近所の人たちが太鼓みたいな音がしてたと言ってるんですが、それは門を打ち破る時の音だったんじゃないの?ってのが、本当の話のようです。

 

松浦党

松浦党(まつらとう)は、平安時代から戦国時代に肥前松浦地方で組織された松浦氏の武士団の連合。一族は48に分かれており、松浦四十八党とも呼ばれ水軍として有名。

 

平戸城天守閣から海に浮かぶ島「天然記念物 黒子島原始林」を眺める。

 

黒子島に見える鳥居と建物は何でしょうか。

 

お昼は漁協が経営しているお店で刺身定食700円と缶ビール300円締めて1,000円。

値段は安く、魚は本場で新鮮、美味しかった! 満員でした。

 

松浦史料博物館へ行く道中

リチャード・コックス(イギリス商館長)

 

ウイリアム・アダムス(三浦安針)

[1564~1620]日本へ来た最初の英国人といわれるウィリアム=アダムズ(William Adams)の日本名。オランダ船リーフデ号の水先案内人として慶長5年(1600)豊後に漂着、外交顧問として徳川家康に仕え、相模三浦郡に所領を与えられました。

 

フランシスコ・ザビエル

[1506~1552]日本に初めてキリスト教を伝えたスペインの宣教師。聖人。イエズス会を創設。1549年(天文18)鹿児島に上陸し、以後2年間、九州・中国・近畿の各地で伝道。52年、中国への伝道の途次広東 (カントン) 付近の上川島で没。

 

平戸松浦氏発祥之地

松浦史料博物館

 

25代藩主松浦隆信

 

 

平戸ザビエル記念教会へ行く道中

大蘇鉄

樹齢400年

 

 

 

平戸ザビエル記念教会

 

 

平戸殉教者顕彰慰霊之碑

 

教会は修理中でネットが掛けてあり撮影できませんでした。

 

寺院と教会の見える道

 

 

手前の寺院と中央右奥にネットが張られた修理中の平戸ザビエル記念教会の見える道

 

有香製茶

真夏並みの暑さの中、バスセンターへ行く途中アイスクリーム150円とコーヒー150円美味しかった!

美人の奥さんはサービス精神満点でどくだみ茶も出してもらい冷たいお絞り気持ちよかった!

博多から訪れたお客はその後、奥さんとの食事に毎月のように来てくれるとのことでした。

 

帰り唐津のうまかもん広場で一休み。

 

 

平戸は市内のあちこちに南蛮貿易(オランダ商館、イギリス商館等)とキリスト教が色濃く残っていて平戸の歴史の勉強ができました!

今回は約50年前の職場仲間との気の置けない旅行でした。

年に1回の泊りがけ旅行と年に数回は天神で食事会をしています。

毎回当時の話しをして笑い、よくあきが来ないものかと思うほどです。

しかしこれが楽しいんですね!

お世話役のIさんのお陰でこれだけ長く続いています。本当にありがとうございます。

甘え序にこれからもよろしくお願いします。




塾長より

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