こんにちは!太宰府魅力発見塾塾長の福田です。

 

今回は太宰府四王寺山登り口にある【浦ノ城跡】を紹介します。

 

浦ノ城跡

筑前国の守護、少弐氏の居城と伝えられる。城の構えの詳細はわからないが、昭和44年、 開発に伴う発掘調査で、御笠川と、コの字形の急峻な斜面をもつ丘陵とを巧みに利用して 造られていたことが判明した。
少弐氏の六代頼尚は足利尊氏を助けて、浦ノ城北側の原山の一坊に尊氏を迎えている。
浦ノ城跡」の案内板より

 

築城:鎌倉時代の弘安5年(1282年)少弐経資によって築かれました。

住所:太宰府市連歌屋

少弐氏は、もともと太宰府の次官である太宰少弐であったことから少弐氏を名乗ることになりました。

 

 

太宰府連歌屋を流れる御笠川。浦ノ城跡はここよりもう少し上流の左側丘の上にあります。

 

浦ノ城はこの急峻な丘の上にありました。

 

四王寺山への入口、赤い橋浦ノ城橋から行きます

 

浦ノ城橋

 

浦ノ城橋から50mほど登りここから右折

 

案内板

 

さらに200mほど行ったところに今は住宅街の中にある浦ノ城公園(浦ノ城跡)

 

浦ノ城公園碑(浦ノ城跡)

 

浦ノ城跡

 

今は城跡はなにもなく石碑や祠がありました。

 

 

弘安五年(1282)、鎌倉幕府は、九州における行政拠点として新たに鎮西探題を博多に設置しました。幕府は、それまで大宰少弐として勢力を誇った少弐家から反感を買うことを恐れ、その権力を保障する形で当城を築かせたと云われています。

以来、少弐氏の居城となるが、どちらかというと政庁的な性質の強いものでありました。従って、当城は鎌倉幕府役人としての居城で、少弐氏の私城は有智山城の方が本城として機能していました。(インターネットより)

 

今まで今一つ浦ノ城の由来、位置づけ太宰府政庁との関係がわかりませんでしたけど今回調べてみてやっと理解できました。

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塾長より

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