こんにちは!太宰府魅力発見塾塾長の福田です。

今回はトルコの要塞集落アイト・ベン・ハッドゥと太宰府の水城堤ともに版築工法、両者に関係はあったのか?

①トルコの要塞集落

世界文化遺産

モロッコ南部、ワルザザート近郊の乾いた谷あいに広がる要塞化された集落、アイト・ベン・ハッドゥ。型枠の中に土を少しずつ入れて、突き固めながら層状に積み上げる「版築」などの技法で建築物が造られた。モロッコに残る土の建築の中でも保存状態が良い。

アイト・ベン・ハッドゥ

以上2026年8月2日日経新聞より

②太宰府の水城堤

国の特別史跡

文化庁認定の日本遺産

大和政権は唐・新羅に侵攻され660年滅びた百済に救援を送り出すが663年白村江で大敗。

唐・新羅の侵攻に備え、防備を固めるため664年に1.2kmにわたる水城堤を造り、翌年665年に大野城・基肄城を築く。

土塁

版築工法・・・真砂土と粘土を交互に突き固める工法で、土砂崩れを防ぐ。

・敷粗朶工法・・軟弱地盤を補強するために樹木の枝葉(粗朶)を敷き詰める工法で、地滑りや地盤沈下を防ぐ。

太宰府側(防御)  博多側(攻撃)        

(水城館)

(九州国立博物館)

 

博多側

 

太宰府側

 

右側:博多、左側:太宰府、白い道路:高速道路

遠くに背振山

 

 

モロッコ南部のアイト・ベン・ハッドゥと太宰府の水城堤も版築工法で7世紀にできているが両者に関係はあるのか?

直接の関係を示す証拠は現在のところない。

しかし、版築工法という技術がユーラシア大陸各地で広く共有されていた可能性は十分にあるというのが現在の歴史学・考古学の見解。

共通点は驚くほど多い

時代が近い

  • 水城堤(福岡県太宰府市)
    • 西暦664年築造
    • 白村江の戦い(663年)の翌年
    • 国家防衛施設
  • モロッコ、アイト・ベン・ハッドゥ
    • 現在残る建物は17世紀以降が中心だが、土による要塞集落や版築・土壁の建築技術そのものは、それ以前から何世紀にもわたって受け継がれてきた。ユネスコでも、建築技術自体は古くから伝承されてきたものと説明されている。

「アイト・ベン・ハッドゥそのものが7世紀に造られた」という証拠はない。現在の建物は17世紀頃以降と考えられている。

工法が似ている

両者とも

  • 土を薄く敷く
  • 水を加える
  • 木枠を組む
  • 突き固める
  • 何層も積み重ねる

という版築工法

この工法は非常に丈夫で、

  • 中国の長城
  • 漢代の城壁
  • 中央アジア
  • イラン
  • 北アフリカにも広く見られる。

防御施設である

水城は

  • 高さ約13m
  • 長さ約1.2km
  • 外敵侵入を防ぐ巨大な土塁

一方アイト・ベン・ハッドゥも

  • 城壁
  • 見張り塔
  • 門を備えた要塞集落。

「土を固めて防御施設を造る」という発想は共通している。

では交流はあったのか?

直接

「モロッコから日本へ技術が伝わった」という証拠はない。

しかし7世紀は、

  • シルクロード
  • 西域
  • ペルシア
  • ソグド人

が活発に往来していた時代であった。

版築工法は中国では古くから完成されており、日本の水城も唐・新羅の築城技術の影響を受けて造られたと考えられている。一方、北アフリカでも乾燥地帯に適した土の建築技術が独自に発展し、長く継承された。つまり、両者は共通の「版築」という技術体系を持ちながらも、それぞれの地域で発展した可能性が高いと考えられる。

 

最初、新聞を見たときは版築工法が12,000㎞離れたモロッコからシルクロードを通って中国、韓国そして太宰府へ伝わってきているのかと壮大なロマンを感じました。

しかしいろいろと調べてみたらそれぞれの地区で独自に発達した技術のようで、時代も違えば文化も違うのに、どちらも土を何層にも突き固める版築という工法で築かれています。

同じ時代に人も場所も違えど発想は同じだったのですね!

 

 

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塾長より

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