①法然と極楽浄土展
2025年10月7日(火)~11月30日(日)
九州国立博物館

浄土宗とは
どんなに貧しくどんなに愚かでもただひたすらに「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えれば、誰でも阿弥陀仏の救いによって極楽浄土に往生できるという「専修念仏」の教え。
貴族だけでなく、庶民や武士など、多くの人々に広く受け入れられる。
阿弥陀如来立像
鎌倉時代・1212年
重要文化財

仏涅槃群像
江戸時代・17世紀
釈迦入滅(釈迦の死についていう)の時に集まった生き物が羅漢等を含め45点

法然上人座像
鎌倉時代・座像
重要文化財

法然上人絵伝
鎌倉時代・14世紀
国宝

平安時代:794~1185年
鎌倉時代:1185~1333年
●浄土宗
本尊:阿弥陀如来
宗祖:法然(1133~1212年 80才)
本山:知恩院
●浄土真宗
本尊:阿弥陀如来
宗祖:親鸞(1173~1263年 90才)
本山:西本願寺と東本願寺
②浄土宗と浄土真宗の違い
法然と親鸞の関係
法然は誰でも念仏すれば救われるという専修念仏の教えを説き浄土宗を開く。
親鸞は29歳の時に法然の弟子となり、その教えをさらに発展させて他力念仏の思想を説き浄土真宗を創始。
念仏弾圧により、師の法然は土佐(高知)、親鸞は越後(新潟)へ流罪となる。
浄土宗と浄土真宗は、どちらも阿弥陀仏を信仰し、「南無阿弥陀仏」を唱えて極楽浄土に往生することを願う宗派だが、教えの内容や考え方にいくつか大きな違いがある。主な違いをわかりやすくまとめると次の通り。
基本の違い一覧
| 比較項目 | 浄土宗(法然) | 浄土真宗(親鸞) |
|---|---|---|
| 開祖 | 法然(ほうねん) | 親鸞(しんらん) |
| 教えの中心 | 念仏を称えることで極楽往生を願う | 阿弥陀仏の本願を信じれば必ず救われる |
| 念仏の意味 | 修行・功徳を積むための行い(自力を含む) | 信心のあらわれ(他力のみ) |
| 往生の考え方 | 念仏を称え努力して極楽へ行く | 阿弥陀仏を信じる心があれば現世で救われる |
| 救われる時期 | 死後に極楽往生 | 亡くなったその時(臨終即得) |
| 阿弥陀仏への態度 | 救いを願って念仏を称える | 救われた喜びから念仏を称える |
| 戒律・修行 | 念仏の他にも戒律や善行を重んじる | 念仏以外の修行は不要とする |
| 寺院の呼称 | 「〇〇寺」 | 「〇〇寺」もあるが「〇〇山〇〇寺」よりも「〇〇院」なども多い |
| 主な宗派名 | 浄土宗(知恩院など) | 浄土真宗本願寺派(西本願寺)、真宗大谷派(東本願寺)など |
わかりやすく言うと
-
浄土宗は「自分が念仏を唱える努力が大切(自力)。念仏によって極楽に行けるように努めよう」という考え方。
-
浄土真宗は「自分の力ではなく、阿弥陀仏の慈悲の力(他力)で救われる。信じるだけで救われる。」という考え方。
一向宗とは
現在の浄土真宗のことを指し、呼び名が異なるのは江戸幕府が浄土真宗の宗派名を一向宗に変更したため。
名前の由来は「ひたすら阿弥陀仏を念じる」という意味から。鎌倉時代には、一遍の時宗、一向俊聖の一向宗、親鸞の真宗などが「一向衆」と呼ばれて混同されていが、次第に親鸞の教えを信じる門徒を指すようになり、特に戦国時代の「一向一揆」の主体となった本願寺派(浄土真宗)の通称として広まる。
③一向宗弾圧とは
一向宗(=浄土真宗本願寺派)は、戦国時代に特に強く弾圧を受ける。
その理由は
①武装門徒が独立的勢力となり、大名の支配を脅かした。
②織田信長らの支配に抵抗し、戦争状態になった。
③平等思想が支配階級と衝突した。
隠れ念仏源光寺(水俣)

以下三点の写真は源光寺の資料より
現存する薩摩部屋(隠れ部屋)
源光寺は水俣川河畔に面しているので毎晩のように夜陰に紛れて陸路、水路を利用して訪れるには便利で写真の左に見えるくぐり戸から入り夜明けまでお参りをしていた。

石抱きの拷問

吊り攻めの拷問

全国各地で多数の死者を出し凄まじい勢いをみせた一向一揆の現存するスローガンの旗。
「進者往生極楽、退者無間地獄」
意味「進めば極楽、退けば無限地獄よ!」
(提供鈴懸さん)

浄土宗と浄土真宗の関係、浄土真宗と一向宗の関係、なぜ一向宗弾圧か?が法然展を機会に学ぶことができおぼろげながらわかってきました。感謝しています。ありがとうございました。
▶fukuda0917@yahoo.ne.jp
塾長より
いつも記事をお読みいただきありがとうございます。
もしよろしければ記事の一番下にある「コメントを残す」より
コメントを書いていただけますと、記事を書く励みになります。
これからも太宰府の魅力をお伝えしていきますので
応援よろしくお願いします。

こんばんは。塾長さん、またまた分かりやすくまとめて下さっていますね。水俣の源光寺の件は初めて知りました。隠れ部屋などあるのですね。学びがあります、感謝致します。
一向宗の弾圧については三河一向一揆が特に有名ですが、うちは両親が三河生まれ三河育ちなので、私も子供の頃に土地の歴史として少しだけ聞いており、一揆側の本陣となった愛知県安城市の本證寺にも一昨年行ってみました。「どうする家康」ブームにより愛知は連日最高潮の賑わいでしたが、駅から離れている事もあり、平日の夕方を狙って行ったのでほぼ貸切状態。親切なご住職に非公開の部分も見せて頂き、興味深かったです。大きな歴史の舞台として感慨深いものがありました。
全国各地で多数の死者を出し凄まじい勢いをみせた一向一揆のスローガンに「進者往生極楽、退者無間地獄」というものがあるのですが、大河ドラマの中で群衆を鼓舞煽動する役回りの巫女さんが叫ぶのです。『進めば極楽、退けば無限地獄よ!』。この言葉に一向宗の門徒たちは一斉に奮い立ち拳を振り上げ咆哮しました。
これは「阿弥陀如来さんのために必死で闘う人間は往生して極楽に生まれ変わる。ビビッて逃げた不信心者は、無間地獄で鬼の責め苦を受ける」というもので、彼らはこの十二文字を旗印に掲げ(←現存しています)、自分達の信仰・信念の為に死に物狂い、文字通り死を恐れず次々に突撃してくるわけですから、鎮圧側にも相当な死傷者が出まして、各地で大混乱を極めました。ここで皆殺しも辞さない弾圧を加えたのは信長ですが、家康の事後対応は違いました。
帰順した一向門徒を赦免。家康からの恩義に叛き死を覚悟で離反、一向宗側として闘っていた元・部下に対しても「この世はかりそめで、来世は長い。それ故、おまえ達が我ら領主を仮の主人とし、阿弥陀仏を長い来世の主人と考える事もさもあろう。私はおまえ達を許して少しも怨まない。おまえ達もこれ迄どおり、気持ちを取り直して忠勤に励むように」(←江戸幕府の史書『徳川実紀』より)と赦しました。うーん、家康を天下人に押し上げ徳川の世を開かせたのは、やはりこのような融和的な思考と態度ではないだろうか。
・・・と、このように各地で起きた一揆を調べていて、一向宗→浄土宗→浄土真宗との違いは何か、と興味がスライドしていったのです。塾長さんの記事は復習としてとても分かりやすいです。ありがとうございます(^ ^)
鈴懸さん貴重なコメントありがとうございます。一向宗(浄土真宗)については時の政権はなぜ弾圧するのかまた門徒はなぜ棄教しないのかよくわかりませんでしたけれども、今回研修で行った水俣の隠れ念仏ゆかりの源光寺では住職の話しを聞き、隠れ部屋にも入り、そのあと鹿児島では隠れ念仏の講演を聞きました。太宰府に帰って九州国立博物館で法然展を見て浄土宗、一向宗(浄土真宗)のことがある程度わかり、加えて今回は鈴懸さんの信長と家康の政策の違い、門徒衆が十二文字の旗を掲げて戦う姿は壮絶を極めたようでお陰様でやっと疑問が解けました。鈴懸さん十二文字の旗まで送っていただき本当にありがとうございました。
父の転勤で、鹿児島で小学校を過ごしました。それから鹿児島の親元を離れ、福岡の中学校を受験して、福岡で学生生活を送りました。
懐かしい写真の数々、思い出しますね~☺️
鹿児島の西郷さんは、犬を連れてないんです。銅像の後ろ手に、鹿児島市美術館があります!その横から城山に登り、西郷さんが、切腹したと言われる、洞穴があります。
鈴懸さんのコメント、学者みたいに詳しいですね、それとこの前のブログへのもの好きジイジさんのコメント、物書きの方なんですか!どちらも専門家のような方ですごいです。
思い出に浸り、読ませて頂きました。
ゆみ子さん初めまして、こんにちは。塾長さんから「褒めて下さっていますよ」とご連絡を頂き参じました。駄文に過分なお褒めの言葉、大変恐縮です。ありがとうございます。神社仏閣、美術系、日本史などが好きでのんびりあちこち散策しています。時々コメント欄に顔を出していますので、今後ともよろしくお願い致します(^ ^)
ゆみ子さんへ
私がここへ書くのは変ですが、お褒めの言葉ありがとうございます。
それより、塾長の行動力 探究心 そして我々に分かり易くまとめ、表現して納得させるプログ。素晴らしい‼️
ありがとうございます。
私はもの好きな 冷やかし屋 です。
しかし これだけの真面目で律儀な表現、初めてです。
又 このプログには、塾長 二代目のような、鈴懸さんて方がおられます。
どうですか? 1.000件からの情報、本や何かのメディアで公表する様、後押ししませんか。
この広場を、塾長さんだけに書かせるのでなく、読者のフリートークの場にしませんか?
塾長さん ごめんなさい。
もの好きジージでなく、横やり 壊し屋ジージになりました。
もの好きじいじ様、ご丁寧なお返事を頂き、ブログでこの様なやり取りが出来るのが、初めてですが、良いですね。有り難うございました。塾長が発信される情報は、都度楽しみに読ませて頂いてますが、眠ってる案内情報が沢山あるとの事!もっと出して頂きたいですね。
もの好きジィジさんブログをもっと広めたいみたいな?
具体的にどうしたいのだろう。
ゆみ子さんや天降川のたんぽぽさんの
ご意見の様に、フリートークの交流の
場にしたら と思っていました。
しかし この欄は九州国立博物館の項
ですね。
新しく塾長さんが調査報告を出されら、ここのトークの交流場は過去になりますね!
難しいかな?
もの好きジイジさん貴重なご提案ありがとうございます。交流の場を作るなら別に欄を設けてそこを交流の場にすることはできるけれど、果たして知らない人同士がそこでどんな交流をするのか。今はブログのテーマについての交流は出来るけど(ただし今は私が間に立って両者をつないでいるから出来ている)、わざわざわたしのブログの交流の場に誰が来るのか。テーマがないのにどんな交流をするのか。知った人同士なら交流は出来ると思います。今は交流の場としてはラインがあり、ラインが役目を充分果たしてくれていると思います。貴重なご提案ありがとうございます。今後何ができるか検討してみます。
塾長さんの言われる通りですね。
アイテムが明確でない。
対話者の立場がわからない。
難しいですね。
鈴懸さんよりの、ご丁寧なコメント読ませて頂きました。 有り難うございます。
日本史が好きと、言われるだけあって、詳細な説明をされる知識に、驚くのみ!です。皆さんの、送られるコメントの内容も含めて、興味深く読ませて頂いてます。又、載せられる歴史上のコメントを楽しみに、読ませて頂きます。