こんにちは!太宰府魅力発見塾塾長の福田です。

今回は唐津のミッチーさんから福島旅行の写真が送ってきましたので皆さんにもお裾分けです。

会津若松城

蒲生氏郷上杉景勝など著名な大名が城主をつとめた城です。1643年に保科正之が入封して以降は明治維新まで会津松平家(保科氏から改名)の居城として用いられ、幕末の戊辰戦争の際には会津戦争の舞台となりました。城址内には会津藩士である西郷頼母、秋月悌次郎らの石碑や銅像があります。

城内の松の木雪つり

お堀も凍ってます

磐梯山

1816mの磐梯山は福島県会津盆地側からは、綺麗な三角の頂が見えることから会津富士、あるいは民謡にあるように会津磐梯山とも呼ばれています。日本百名山に選定されており、福島県のシンボルの一つとされています。

飯盛山

会津若松市街の東2キロにあり、城下町を一望に見渡す小高い山で、その頂上には約1650年~1700年前につくられた前方後円墳であり、隠れキリシタンの祠もあり、地元滝沢村住民の共同墓地でもあります。そして古くは古代四道将軍、弁財天、日本武尊などの神話も残り、1600年以上、連綿と会津盆地を見守る信仰の山です。

ここには、白虎隊十九士の墓、各地で戦死した三十一士の墓や、イタリア並びにドイツから贈られた記念碑、さざえ堂、宇賀神堂、厳島神社、白虎隊引揚の洞門、市天然記念物の太夫桜など、数多くの神話、史跡名所が残っております。

白虎隊とは

1868年、鳥羽・伏見の戦いにより戊辰戦争が勃発しました。会津藩は旧幕府勢力の中心と見なされ、新政府軍の仇敵となりました。

白虎隊は、その戦争に際し会津藩が組織した16歳から17歳の武家の男子によって構成された部隊であります。中には志願して生年月日を改め15歳で出陣した者もいたほか、幼少組として13歳の少年も加わっていました。

橋幸夫「花の白虎隊」
  昭和36年5月発売 作詞:佐伯孝夫 作曲・編曲:吉田正

 一 会津若松鶴ヶ城
   二十日籠りて城落ちぬ
   血潮にまみれたその旗は
   あわれ少年白虎隊
   南鶴ヶ城望めば砲煙颺(あが)る
   痛哭涙を飲んで且つ彷徨す
 二 秘めて清らなおもかげの
   白い鉢巻濡れ羽髪
   想えばこの胸せまりきて
   呼べど火砲(ほづつ)の答うのみ
 三 寄せる大軍背に腹に
   散らばさくらの決死行
   飯盛山上十九人
   泣いて拝がむ城かなし

戸の口堰洞穴

猪苗代湖北西部の戸の口から会津盆地へ水を引く用水堰で全長31Kmに及ぶ。

野口英世生家

2人の博士、左が野口英世

 

これからは以前行かれた長崎観光の写真です。

長崎ランタンフェスティバル

 

 

異国情緒たっぷりですね!

 

ミッチーさん旅行の写真ありがとうございました。

居ながらにして各地の珍しい写真が楽しめこちらまで行った気分になりとてもありがたいです。

写真見たらやはり行きたくなりますね!

ありがとうございました。




塾長より

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