こんにちは!太宰府魅力発見塾塾長の福田です。

先日「立山黒部アルペンルートと黒部峡谷トロッコ列車・上高地・白川郷3日間」に行ってきました。

初回「上高地」、2回目「黒部ダムと室堂 雪の大谷とライチョウ」に続いて3回目最終回です。

世界遺産 白川郷合掌造り

岐阜県大野郡白川村荻町

1995年「白川郷・五箇山の合掌造り集落」としてユネスコの世界遺産に登録

合掌造りという名前は、傾斜が急な屋根でできた三角形の形が、両手を合わせて祈っているように見えることに由来しています。 

合掌造りは釘、カスガイ(材木と材木とをつなぎとめるために打ち込む、両端の曲がった大釘)等を一切使わずクサビの他はネソ(マンサクの若木)、ワラナワでしめくくった特殊なもので、茅葺の切妻屋根は雪を落とすため、60度に近い急こう配になっています。

 

展望台からの全貌

岐阜県大野郡白川村の荻町地区には合掌造りは約100棟余りあります。

 

明善寺本堂

1748年建立

飛騨白川郷 重要文化財

浄土真宗大谷派

良質な総欅で建てられた茅葺合掌の全国にも珍しい寺院です。

1827年延べ人数9191人要して建立

 

明善寺本堂内

 

明善寺鐘楼門

岐阜県指定有形文化財

門と鐘楼を兼用したもの

1801年延べ人数1425人を要して建立

 

明善寺庫裡(くり)

住職や家族の居間

徳川末期に完成

階下建坪約100坪

白川郷の5階建て合掌造りでは最大の建物。

 

居間

囲炉裏の火は火種を残すため一日中燃やされ、生活と毎日のいぶしにより住居の耐久性が高まりました。

囲炉裏を囲む席には厳格なルールがありました。

土間から見て正面(ここでは右側)が横座と呼ばれる主人の席で、その隣が客座(左手前)というお客や隠居した老人や長男が座る席。横座の右手は嬶座と呼ばれ、奥さんの座席、台所に近い席。横座の対面は下座(末席、子どもたち使用人が座る。木尻)と決まっていました。

 

屋根裏

幕末から昭和初期にかけ、白川村では養蚕業が村の人々を支える基盤産業でした。

屋根裏の空間を有効利用するため小屋内を2~4層に分け、蚕の飼育場として使用していました。

2階農機具収納

 

塩硝桶

煙硝(火薬の原料)を作るために使われた桶

 

3階蚕の飼育場

 

長瀬家

長瀬家は250年続き、先祖は加賀百万石前田家の典医でした。そのため、江戸期の医療道具が残されています。

5層建ての合掌造り家屋で、約11メートルの一本柱(合掌柱)が屋根の勾配の上から下までを貫き、大きな屋根を形作っています。

1890年(明治23年)樹齢150~200年の檜、桂や樹齢300~350年の栃、欅、桂等の巨木が使用されています。

 

和田家

国指定重要文化財

和田家は、代々、庄屋や番所役人などを務めた白川郷の有力者でした。

築後約300年が経過した今も生活が営まれ続けている茅葺き合掌造り住宅。

 

神田家

和田家からの分家で酒造業を営んでいました。1850年ころの建築と推定されます。

 

集落

 

白川郷の食事処「いろり」

 

「飛騨牛の朴葉味噌焼き定食」

 

屋根の葺き替え

昔は40~50年に一度葺き替えられていましたが現在ではいろりを使う機会の減少、茅の種類の変化などにより葺き替えの周期が短くなっています。

葺き替え作業は村民総出の「結」によって行われ、100人~200人の村民によって基本的に1日で葺き替えられます。こういった機会に屋根葺きの技術を習得することで次の世代へと伝統技術が引き継がれていきます。

費用は片面1000万円ともいわれています。(世界遺産の補助あり)

 

 

 

お問い合わせ・ガイドの依頼はコチラから
fukuda0917@yahoo.ne.jp

塾長より

いつも記事をお読みいただきありがとうございます。
もしよろしければ記事の一番下にある「コメントを残す」より
コメントを書いていただけますと、記事を書く励みになります。

これからも太宰府の魅力をお伝えしていきますので
応援よろしくお願いします。