こんにちは! 大宰府魅力発見塾塾長の福田です。

今回は太宰府魅力発見塾カメラ部のStorchさんから写真が送ってきましたのでみなさんにも紹介します。

 

以下Storchさんのメールです。

「パワースポット編」に名島城・名島神社の紹介がありましたが、その近くに、目立たないですが、名島北公園横に、「岩見重太郎生誕の碑」がありますよ。

小生、少年時代に確か雑誌「少年クラブ」か何かで、ヒヒ退治や仇討ちなどの武勇伝に胸躍らせたことを思い出しました。

その岩見重太郎が、比較的近くで生まれたことにびっくりしたものです。

携帯画像ですが、ご参考までにお届けします。

 

岩見重太郎

生没年不詳。桃山時代の豪傑。筑前(ちくぜん)(福岡県)小早川(こばやかわ)の臣岩見重兵衛の子で、父の敵(かたき)広瀬軍蔵を討ったのち豊臣(とよとみ)家に仕え、1615年(元和1)の大坂夏の陣で討ち死にしたといわれています。

天橋立(あまのはしだて)で仇討(あだうち)をするまで諸国を武者修行し、ヒヒや山賊を退治する豪傑として活躍、歌舞伎(かぶき)にも扱われています。

 

名島城

豊前国の戦国大名大友氏の庶流であった立花氏当主立花鑑載が立花山城の出城として築城したことが始まりとされます。

1587年に島津氏を降伏させ、九州平定を果たした豊臣秀吉は、筑前国や近隣諸国を毛利氏の重臣であった小早川隆景に与えました。

小早川隆景は城地の選定にあたり、海に近く水軍の本拠とできる城の築城を計画し、この立花山城の出城であった名島城を大改修して居城としました。

 

「岩見重太郎生誕の碑」が名島北公園横にあるのは名島城城主小早川隆景の家臣だったからだと思われます。

 

①生誕の碑×2 

 

②説明看板

③ヒヒ退治

④仇討ちの場

⑤漫画表紙

⑥岩見重太郎通り

 

私、岩見重太郎の名前も漫画のことも初めて知りました。

身近に意外と知らない名所、旧跡などがあるものですね!

Storchさん写真の提供ありがとうございました。勉強になりました。




塾長より

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