こんにちは!太宰府魅力発見塾塾長の福田です。
「キリンコスモスフェスタ」開催
広大なエリアに1000万本のコスモスが見頃を迎えています。
期間:2024年10月12日(土)~11月4日(月・祝)
キリンビール 福岡工場
福岡県朝倉市馬田3601
塾長
Storchさん
カメラマン見習い
さすがにStorchさんは心に残る写真を撮られますね。わたしのカメラの師匠です。
毎年のように来ていますけど広大な面積と見事な満開に今年ほど感動したことはありません。
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▶fukuda0917@yahoo.ne.jp
塾長より
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なんと!なんと!なんと!
こんなにすごいのは初めて見ました。ことばにできな~い🎵
ありがとうございました。
梅林がるさんコメントありがとうございます。毎年のように行っていますけど今年ほど広範囲に見事に咲いているのは初めてでした。
福田塾長のブログを拝見し、キリンビール福岡工場(朝倉市)のコスモス園に行ってきました。ここは、陸軍大刀洗飛行場があったところです。
第1次世界大戦を契機に、軍事面における航空機の重要性が認識され、陸軍は、北部九州の航空拠点として馬田村・三輪村・大刀洗村にまたがる山隈原に、トロッコと人力だけで総面積46万坪の飛行場を完成させます(1919年)。当時の飛行場は広大な「草原」といい得るものでしたが、その後、拡張が進められ、北飛行場として重戦闘機用、重爆撃機用の2本の滑走路が整備されます。さらに、関連施設も多数設けられ、総面積115万坪に及ぶ東洋一の航空基地と呼ばれる大規模なものになりました(cf. 福岡空港の敷地面積353ha=約107万坪)。
大刀洗飛行場の軍事的重要性をアメリカ軍は早くから認識していました。偵察機による大刀洗の航空写真が多数撮影され、綿密な爆撃計画が策定されています。終戦直前の昭和20年3月、サイパン島から爆撃機・B-29を出撃させ、大刀洗一帯に大規模な爆撃を加えました。それにより、大刀洗の軍事基地としての機能は壊滅しました。また、600人を超える尊い命が奪われています。
戦後、大刀洗の飛行場施設は封鎖され、広大な空き地が残りました。陸軍が所管した土地は払い下げられ、当初農地となるものの離農者が続出したため、その後、工場団地が造成されます。多くの企業が進出するようになり、その最大のものがキリンビール福岡工場です。
昨日は、くじゅう三俣山の紅葉を鑑賞する予定でしたが、天候が思わしくないために断念し、午後から、工場の脇に開設されているコスモス園に行くことにしました。北側の道路はよく通りますが、久しぶりに園内を訪れ、見事な花の風景を見ることができました。かつて、筑後に日本最大規模の飛行場が存在したことを記憶する人は少ないと思います。私は、平和学習でそのことを知りましたが、その歴史を想い起こすと、飛行場跡に植栽されたたくさんのコスモスは、空爆で亡くなった多くの方々への鎮魂花のように見えてきました。と同時に、故人(死者)から現代の人々(生者)に向けた贈り物のようにも見えました。
やまねこさん菅原文太や山田堰、今回のキリンのコスモス園などへの詳細なコメントありがとうございます。今までやまねこさんの説明のことなどあまり気にせずに何気なく「広いエリアに満開のコスモスがキレイだな~!」と思って見ていたことが恥ずかしい限りです。梅小町さんのコメントに書いてあるようにやまねこさんの結びの言葉「コスモスは亡くなられた方々の鎮魂花の様でもあり、現代の方々への贈り物のようだ」にわたしも大変感動しました。朝倉方面には時々出かけるので次回行った時にはやまねこさんのコメントを思い出し戦争当時に思いを馳せながらコスモス園に佇んでてみようと思います。ありがとうございました。
塾長はじめやまねこさんのキリンビール園の太刀洗飛行場のお話し、興味深く拝読致しました。実父は戦闘機の整備兵で戦時中、大刀洗にもいたそうて、生前連れて行った時に、懐かしさの中にも哀しい思い出ばかりのようで、深くゆっくりと眺めていたのを思い出されます。やまねこさんの結びの言葉、コスモスは亡くなられた方々の鎮魂花の様でもあり、現代の方々への贈り物のようだと、大変感動致しました。そういう思いで満開のコスモスに手を合わせたいと思いました。ありがとうございました。
梅小町さんコメントありがとうございます。お父さんが大刀洗で仕事しておられたのなら当時のことに実感を持たれたことでしょうね。
これで思い出したのは長崎の軍艦島(海底炭鉱)に行った時にガイドさんが「以前ここで働いていた人が観光で来られた時に、当時のなにか思い出がありますかとの質問に『波の音や鳥のさえずりが聞こえていたのですね』といわれました」。
当時はあの小さな島に三菱炭鉱や炭鉱関係の人が家族を含め約5000人(当時の人口密度東京の9倍で世界一)が住んでいたので喧騒が甚だしかったことでしょう。
今、私たちも当時大刀洗で働いていた人たちの気持ちを思い起こし、悲惨な戦争を起こさないようにしなければ先人に顔向けができないと思いました。
凄いです。凄いです。塾長の「軍艦島で働いていた方がガイドさんの質問に波の音や小鳥のさえずりが賑やかだったのでわからなかったとの事」言葉に出来ません。
梅林がるさんコメントありがとうございます。私もガイドさんからこの説明聞いた時涙したこと覚えています。
やまねこさんのコメントにリンクしますが、
コスモス園の近くに太刀洗平和記念館があります。
戦闘機等の戦争資料をたくさん展示しています。
もっとも心に迫ったのは特攻隊の若い人達の資料です。
みなさん二十歳前後で写真、名前とともに手書きの遺書
が添えられてありました。端正な文字で自分を真摯に非情に追い詰めた文章です。これを書いた彼らの姿が浮かんで来て、感極まって涙が出ました。
戦争 過去の人間だけがおろかであったわけでもなく、今を生きる人間も、状況次第では同じことをしてしまうということをこの展示館は語っています。
「人間というものは、常に神性も獣性も兼ね備えた、偉大で崇高であると同時に、野蛮で低劣な矛盾に満ちた存在である。」これはある作家の言葉ですが、人は誰でもこの矛盾を抱えているのだと思います。
匿名さんコメントありがとうございます。
大刀洗平和祈念館で若者たちの遺書は涙なしには見られませんね。
鬼平犯科帳の長谷川平蔵も「善事をおこないつつ、知らぬうちに悪事をやってのける。悪事をはたらきつつ、知らず識らず善事をたのしむ。これが人間だわさ」と言っています。戦争でこれだけの多くの国民や前途有望な若者たちを死なせた軍部に対する憤りは収まりません。米軍が南方に集結した時、沖縄に来た時、本土に来た時に終戦に持ち込むチャンスはあったと思います。それを国民総玉砕など全くの狂気の沙汰。これは殺人罪です。二度と戦争を起こしてはなりません。
前のコメントの補足です。
太刀洗平和記念館を見学して、衝撃を受けたたことがきっかけで本を著した作家がいました。
安部龍太郎著「特攻隊員と太刀洗飛行場 四人の証言」です。
太刀洗飛行場が大正8年に建設されてからたどった経緯と、生存している4人の飛行兵、整備士へ取材した証言記録です。今のコスモス園からは想像もできない、”生き地獄”だったようです。
本の内容紹介を引用します。
「昭和20年(1945)3月、重要拠点ゆえにB29に爆撃され、壊滅的被害を受けた太刀洗飛行場。大正8年に完成したこの飛行場は、その後、陸軍飛行学校や技能者養成所が置かれ、東洋一と謳われた。国民学校を卒業したばかりの15歳の少年たちは、この地で速成され、ある者は特攻兵として戦場へと送りだされていったのである~」
間違ったことも正義だと思い込むと歯止めが効かなくなって、暴走します。
よく耐え抜いたと思われる証言が書かれています。生き残った方は精神の変調があったのではないかと思いますが、証言して下さったお陰で後世の人が知ることができます。
本の帯に「無事生還を遺憾に思う」生きて戻った隊員へ部隊長は告げた とあります。部隊長の言葉は当時の世情でもあったでしょう。
戦争は世情をも狂気にしてしまうのです。
今を生きる人間も周りの状況に呑み込まれれば、非情にも野蛮にもなることを自覚して、思考力を身につけておかなければいけないことだと思いました。
本の紹介でした。みなさんに一読をお勧めします。
匿名さんコメントありがとうございます。軍部(いつの統治者も)は自分たちを正当化したことしか発表しないでしょうから匿名さんが言われるように「思考力を身につける」ことが必要だと思います。正当化された本ではなく証言に基づいた本のようですので是非読んで史実を知りたいと思います。
名前が似てるのでお尋ねします。
「太宰府発見塾」塾長の森弘子氏とは関係がありますか。こちらは詳しいプロフィールが出てますが。
Polarisさんお問い合わせの件、「太宰府魅力発見塾」と「太宰府発見塾」とは何ら関係はありません。「太宰府発見塾」の森弘子氏は地元太宰府の郷土歴史研究の第一人者で、わたしは太宰府をこよなく愛する者の一人として太宰府を中心に知り得た情報をみなさんに情報発信しております。また書くほどのプロフィールもありませんの書いておりません。