太宰府魅力発見塾塾長の福田です。
うっちゃんから大刀洗平和記念館の写真が送ってきました。
以下うっちゃんからです。
私の父は戦時中、太刀洗飛行場にて通信隊に所属していました。
アルバムにはその後、昭和19年の写真はラバウル基地とあります。
終戦後21年に帰還を許され実家の佐賀に戻った時には父の葬儀の
真っ最中だったそうです。
今回、甘木鉄道に乗り
久し振りに大刀洗平和記念館に出向きました。
航空機愛好家が今の雑餉隈界隈の九州飛行機(株)で試作機・震電(しんでん)の実物大を作成して寄贈したそうです。九州飛行機(株)は現在、JR南福岡駅西側に渡辺鉄工所(株)として存在しています。
7月6日(水)「震電」実物大模型の一般公開が始まりました。
震電は機体後部にプロペラが付いており画期的な戦闘機です。
もう少し早く実戦に出ておればB29の驚異になったはずですね。
平和記念館にはその他、零戦、九七式戦闘機(博多湾で引き上げ)が展示してあります。
その他、太刀洗基地周辺でB29による爆撃で亡くなった子供や民間人の遺影、特攻隊で戦死したパイロットの遺影や遺書も数多く展示してあります。
まるで鹿児島の知覧平和記念館に出向いた気分になりました。
戦争の悲惨さが伝わる一日でした。
塾長より
いつも記事をお読みいただきありがとうございます。
もしよろしければ記事の一番下にある「コメントを残す」より
コメントを書いていただけますと、記事を書く励みになります。
お名前はニックネームでも大丈夫です。
これからも太宰府の魅力をお伝えしていきますので
応援よろしくお願いします。
今回、掲載していただきありがとうございます。震電は終戦後、解体されて米国の博物館に保管されました。一方、九七式戦闘機は大陸から太刀洗に帰還中、博多湾に不時着しました。操縦席から名前が入った弁当箱が見つかり渡辺少尉の操縦と判明しました。渡辺少尉はその後、知覧から沖縄?特攻で戦死されました。遺書が展示されていますが涙が出ます。戦争の悲惨さは繫いでいかなかればいけませんね。
うっちゃん大刀洗平和記念館、震電の写真等ありがとうございます。
終戦記念日8/15が近付いてきました。戦争の悲惨さ、特攻隊、沖縄戦の前になぜ終結しなかったのか。多数の尊い命を失わなくともよかったのにと残念でなりません。
ウクライナも然り。ロシアも領土広げてなんのメリットがありますか。世界が迷惑しています。早期の終結を祈ります。