こんにちは!太宰府魅力発見塾塾長の福田です。
京都・奈良旅行は京都が終わりいよいよ終盤奈良へ、パ−トⅥは東大寺です。
Ⅷまで続きます。
世界遺産 東大寺
752年聖武天皇は災害や政変、反乱などが相次ぐ当時の社会不安を、仏法の力によって解消しようと、全国60余か国に国分寺を創建。国分寺の中心をなす総国分寺が東大寺。
華厳宗の大本山
本尊:廬舎那仏(釈迦如来の別名)
創建当時の大仏と大仏殿の建造費は現在の価格にすると約4657億円と算出されています。
南大門
門の高さは約25m。わが国最大の山門。
中門
国宝 大仏殿(金堂)
正面の幅58m、奥行き51m、棟までの高さ49m。幅は三度の火災により創建当時(約86m)の約2/3になっています。それでも木造建築物としては世界最大規模を誇っています。
国宝 八角灯篭
国宝 大仏さま(廬舎那大仏)
像の高さ約16m、顔の長さ約5m、目の長さ約2m
戒壇院
聖武上皇は唐から渡来した鑑真から戒を授かり、翌年、日本初の正式な授戒の場として戒壇院を建立。日本三戒壇の一つ。
日本三戒壇とは奈良の東大寺、下野の薬師寺、太宰府の観世音寺。
太宰府の観世音寺・戒壇院 ↓
正倉院
所管:宮内庁
正倉院の宝物は聖武天皇の遺品やその他いくつかの系統から成り立っています。
二月堂
旧暦2月に「お水取り(修二会)」が行われることからこの名があります。
法華堂(三月堂)
旧暦3月に法華会(ほっけえ)が行われるようになり、法華堂、また三月堂の名があります。
若草山
全山芝生で覆われたなだらかな山で、丘が3つ重なっている様子から別名を三笠山ともいう。
「天の原 ふりさけ見れば 春日なる
三笠の山に 出(い)でし月かも」阿倍仲麻呂
水谷茶屋(みずやちゃや)
にゅう麺
わらび餅
太宰府の筑前国分寺跡 ↓
次はパートⅦ 奈良興福寺です。
▶fukuda0917@yahoo.ne.jp
塾長より
いつも記事をお読みいただきありがとうございます。
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福田塾長さん
奈良の大仏様、正倉院は修学旅行で行ったことはありましたが、
他の戒壇院・法華堂・二月堂は、行ったことがありませんので、
興味深く拝見しました。にゅう麺。わらび餅も美味しそう(^o^)
盧舎那仏の大きさには驚き、当時の信仰の深さを想像することができます。 しかし、一方では、洋の東西を問わず、宗教遺跡や仏像・神像などはより大きく、より高くと巨大化していますが、なぜ大きくなくてはいけないのか?と考えることがあります。大きく高いことが
ありがたさの指標だったのでしょうけれど・・・
また、現代の建築も馬鹿げた高層化競争にも疑問を感じます。
ちなみに、世界一の高層建築はドバイの「ブルジョ・ハリファ」は
ナント830m。 万一の停電や火災、テロ攻撃などの際はどうするのだろうと心配するのは、小生だけなのでしょうか?
(コメントが記事に相応しくなくてスミマセ~ン(^_^;)
Storchさんコメントありがとうございます。
太宰府の筑前国分寺の七重塔は丘の上に54mの高さだったそうで、外国の使節が前を通って大宰府政庁に行くので国威発揚、権力の象徴を誇示するためと聞いたことがあります。
東大寺はすべてが巨大ですね、南大門、大仏殿、大仏、梵鐘など日本最大級ですね、今まで災禍に会っても復興してきたこの国の人々のエネルギーには感動します、正倉院の宝物も1万点も残っているとか、先人の清廉潔白には驚きです、現代の私たちはこれを次世代に引き継いでいく責務があるでしょう。
福寿草さんコメントありがとうございます。
3度の火災に会いながらも復興してきてるわけですから、われわれの代で途絶えさせるわけにはいけませんね。
奈良の都の東大寺、全国に60数か所造った国分寺の一つ、太宰府の筑前国分寺の丘の上には54mの高さの七重塔があり聖武天皇の権力の大きさが想像できます。
奈良観光は高校の修学旅行での一度だけです。
前日の夜行列車で一睡もできず、大阪から奈良への
バスに酔ってしまい、半日ぼーっとついてまわりました。
それでも、大仏の大きさに驚いた記憶があります。
大きいものを造るのは権力の誇示、さらに
大きいことで畏敬の念を持たせるようなことでは
と考えました。
福岡の四郎さんコメントありがとうございます。
修学旅行の夜行列車では一睡もできず翌日はバス酔いとはそさぞかし辛かったことでしょう。