こんにちは!太宰府魅力発見塾塾長の福田です。
京都・奈良旅行パートⅢ【清水寺】をご覧ください。
茶わん坂
京焼、清水焼の発祥の地
この坂を通って清水寺へと行きます。
世界遺産 清水寺
所在地:京都市東山清水1-294
重要文化財 仁王門
重要文化財 三重塔
日本最大級の三重塔
国宝 本堂
778年 坂ノ上田村麻呂創建、1633年徳川三代将軍家光再建。
国宝 清水の舞台
高さ12m、石垣からは18m
現在も御本尊十一面千手観音様に向かって舞楽を奉納する正真正銘の舞台。
「清水の舞台から飛び降りるつもりで・・・」の諺を生んでいます。
御本尊:十一面千手観音像
重要文化財 奥の院
屋根に雪が積もっています。
1633年徳川三代将軍家光再興
重要文化財 阿弥陀堂
重要文化財 阿弥陀如来坐像
音羽の滝
清水寺の名前の由来は音羽の滝の清泉にちなみ、流れ出る清水は「清め」の水として尊ばれています。
僧月照(1813~1858年)
幕末期の尊王攘夷派で清水寺の僧侶。
西郷隆盛とともに錦江湾に入水、月照は死亡したが、西郷は奇跡的に一命を取り留めています。月照の弟・信海は、兄の死後、清水寺の住職を継いだが、兄などとともに活躍したことから捕縛され、江戸で獄死しています。
月照辞世の句
「大君の ためにはなにか 惜しからむ 薩摩の瀬戸に 身は沈むとも」
僧月照と西郷隆盛が錦江湾で身を投げる前に泊まった、太宰府の薩摩藩定宿の松屋 ↓
産寧坂(三年坂)
この坂の上の清水寺にある子安観音へ「お産が寧か(やすらか)でありますように」と祈願するために登る坂であることから「産寧坂」と呼ばれるようになったという説、「三年坂」で転ぶと三年以内に死ぬという説。
豊臣秀吉の正妻「ねね」が子供の誕生を念じて坂をあがり清水寺にお参りしていたことからその名前がついたという説などあるようです。
二寧坂(二年坂)
二年坂でつまずき転ぶと二年以内に死ぬといわれています。
街並みに合わせた民家風のスタバ
次はパートⅣ 銀閣寺です。
▶fukuda0917@yahoo.ne.jp
塾長より
いつも記事をお読みいただきありがとうございます。
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福田塾長さん
京都パートⅢ、拝見しました。雪を被った清水寺、貴重ですね❗ 「音羽の滝」修学旅行で友達と手だけでなくシャツまでビショ濡れになったことを思い出しました😅 「三年坂」や「二年坂」があること初めて知りました。熊本の中心街にも「三年坂」がありますが、関係あるのか、今度調べてみたいです。
塾長さんの眼の付け所がユニークですネ✌️
Storchさん修学旅行時のことよく覚えてますね。熊本の三年坂興味あります。わかったら教えてください。
不謹慎な発言だとは百も承知ですが、このように京都をゆっくり眺め散策できるのも、今だからこそですね。降雪時期独特の、しんとした静寂が京都にとっても似つかわしいですね!
福岡もじわりと感染者が増えてきました。塾長もどうぞお気を付けてお過ごしください。
Motoさんコメントありがとうございます。
こんな少ない京都は初めで奈良の阿修羅もゆっくり堪能できました。
清水寺のコメントを読みながら、数年前に訪れたことを懐かしく想い出しています。坂の説明 なるほどと思いましたよ。
からつくんちさんコメントありがとうございます。坂は今回わたしも初めて気づきました。説明がおもしろいですね。急だから気を付けるようにとのことのようですね。
一枚一枚の風情ある写真(プロ級)、やはり清水寺は散策に似合う街で素晴らしい。
私の好きな俳優近藤正臣さん。「曾祖父に幕末の尊王攘夷運動家の近藤正慎がいる。清水寺の境内にある舌切茶屋は近藤正慎の子孫が営む茶屋である」
寺院内に茶屋を開かせたのも尊王ならではのお話。
新年早々、京都の名跡、風景を幾たびかに伝えていただき塾長には感謝の気持ちで一杯です。
本年も楽しみにしてます。
風の旅人さんいつもながらの博識あるコメントありがとうございます。
旅人さんのコメントを参考に本文に僧月照を追加しました。
境内に尊王の近藤氏の末裔の茶屋があるのはやはり尊王の月照との関わりからでしょうか。大変貴重なお話しありがとうございました。
私は何度も参拝しましたが、こんなに人出の少ない写真は初めてです、おまけに青空で雪の清水寺は貴重ですね、塾長はラッキーでしたね、以前は修学旅行生や外国人で溢れてて仲間とはぐれそうでした、懐かしい写真ありがとうございました。
若宮征之助さんコメントありがとうございます。
当日は大雪警報がでていましたけど屋根に少し残っている程度で雪の清水寺を見ることが出来、とてもラッキーでした。みなさんへのおすそ分けです。
59年前の高校の修学旅行で、見学した時のことを思い出しました。
屋根に雪をかぶった清水寺の写真は初めて見ました。貴重な瞬間を
ありがとうございます。続きが楽しみです。
福岡の四郎さんコメントありがとうございます。
わたしもそうですけどみなさん楽しかった修学旅行の思い出が多いですね。
京都奈良旅行まだまだ続きます。お楽しみにしていてください。
PS
近藤正慎さんは安政の大獄に連座して捕縛され、六角獄舎において、月照の行方について拷問を交えて問われるが全く白状せず、獄中で舌を噛み切って壁に頭を打ちつけて自害した。享年43。
(舌を嚙み切るため頭を打ちつける)この功績で寺院内に舌切茶屋を造営。
風の旅人さん幕末の動きを間近に見るようなお話しで歴史に深みが増しまた訪ねたくなりました。ありがとうございました。
風の旅人さんの話しを聞いて、歴史の大河のドラマのように場面が頭に浮かんで来ました。
あの時代の人々の強く熱い信念や、知られてない事件があったことなど。
神社仏閣も素晴らしく、またそれぞれの時代の歴史は奥深いものであります。
コロナ禍で寒い最中に何故塾長は京都へ?
…と思っておりましたが、コロナで閑散とした所を狙って行かれましたか、もしかして😁
ンダモシタ−ンさんコメントありがとうございます。
風の旅人さんのお陰で一挙に清水寺に深みが増して太宰府にも繫がり新たな展開になりました。
ブログの写真見てこんな人出の少ない京都は初めてと言われています。
興福寺の阿修羅も見る人まばらでゆっくり鑑賞できました。
アラまあ!本当に❗️
僧月照の入水と薩摩藩邸の定宿松屋がつながりましたね。
中島みゆきの歌ではありませんが、縦の糸と横の糸が繋がると面白いものですね!
昭和の乙女さんコメントありがとうございます。縦と横の糸が繫がり深みが増してきました。これが歴史の面白さかもしれませんね。
お久しぶりに
ブログ拝見させて頂きありがとうございます🙇
テンポ良い解説に、自分まで京都を歩いているような感じしています~
つい最近、月照上人の
辞世の句や、幕府方からの拷問を受けた従者達の哀しい話を目にしました~(;_;)
清水寺付近に
幕末期に開いた茶屋が
今もあると書いてありびっくりびっくりしました。
いらっしゃいましたか?
茶屋の名前がオドロオドロしいですが〜
舌切茶屋に
忠僕茶屋です〜
福岡の啓子さんお久しぶりですね。コメントありがとうございます。僧月照と近藤正慎の舌切茶屋の話し当時の人の尊皇の志の強さを改めて考えています。