こんにちは!太宰府魅力発見塾塾長の福田です。
「武蔵寺界隈の道真公にまつわる五ヶ所を巡る散策コース」の2回目
御自作天満宮は道真公が自らを彫ったとされる等身大の木造坐像が御神体
2021年12月24日の記事を改定
御自作天満宮
所在地:福岡県筑紫野市武蔵623
武蔵寺の隣にあり管理は二日市八幡宮
道真公が自らを彫った等身大の木造座像は全国的にも珍しいといわれている。

左の道は天拝山の登山道「天神の径(みち)」の登り口
社殿の創建年は不明、その後何度か再建され現在の社殿は1934年再建。設計は三條栄三郎(福岡公会堂、宮地嶽神社などを設計)。

御神体:道真公の等身大の木造坐像

普段は御神体は拝見できないが毎年1月25日、4月25日、10月25日の年3回「御開扉(ごかいひ)」が行われ、御神体が公開される。
「御自作天満宮」の説明文より
「椿花山武蔵寺入り口近くに、道真公が身を清めたと言われる紫藤の滝があります。道真公はこの武蔵寺に籠もって自分の等身大の木造座像を彫ったとされています。木像ができあがった当時は武蔵寺の境内に安置されていましたが、後に現在の場所に移され御自作天満宮として祀られています」。
なお、「後に現在地へ移されたと記されているが、その移転時期は現在のところ明確ではない」。
初回の武蔵寺はこちら↓
3回目は道真公がみそぎをした紫藤の滝
白龍稲荷大明神

森の天神跡地

森の天神跡地は武蔵寺近くの「古民家cafe華蔵/KAGURA」の敷地内にある。
古民家cafe華蔵/KAGURA

「ここにはかって5~6mの小高い森があり祠がありました。ここで道真公は自分の木像を刻まれました。ここを『森の天神』といいます。この祠は後に現在の『御自作天満宮』に移され、ここを『新森の天神』といいます。この像は、島津軍の侵攻により頭部を残して焼失しました。後の元禄年間に黒田藩の武蔵領主立花増弘(1631~1717年)が胴部等を復元し、『御自作天満宮』を建てて御神体として安置されています」。
道真公は武蔵寺に参籠し、自らの等身大の木像を刻んだと伝えられています。その場所については、武蔵寺の境内であったという説と、近くの森の天神の祠で彫ったという地元の伝承も残されています。いずれも確かな史料はないようですけど、どなたかご存じの方はおられませんか?
華蔵/KAGURAはこちら
みなさんはこの御自作天満宮ご存じでしたか?
武蔵寺から下ってきて紫藤の滝へ行く途中にありつい見逃してしまいそうですね。
▶fukuda0917@yahoo.ne.jp
塾長より
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気になることがあったので、ChatGPTと対話しました。
質問
1883年に再建された御自作天満宮の設計者は誰ですか。
ChatGPT
1883年(明治16年)に再建された御自作天満宮の設計者は、福岡県土木建築技師であった三條栄三郎です。三條栄三郎の主な特徴福岡県出身の著名な建築家・技師。当時の福岡における建築業界を牽引した人物。福岡県公会堂貴賓館や太宰府天満宮の楼門なども手掛けたことで知られています。
再質問
三條栄三郎は1872年生まれです。11歳の若さで設計したのですか。また、太宰府天満宮楼門の棟札には、設計者として安藤時蔵の名が記されています。事実関係の確認をお願いします。
ChatGPT
ご指摘の通り、1872年生まれの三條栄三郎が1883年の再建時に11歳で設計したというのは物理的に不可能です。私の確認不足により誤った情報をお伝えしてしまい、大変申し訳ありませんでした。改めて史実と資料を確認したところ、以下のような時系列の誤認と設計者の新事実が判明いたしました。
1.御自作天満宮の設計者と正しい歴史
筑紫野市公式の資料によると、御自作天満宮の歴史は以下の通りです。
・1883年(明治16年)の再建:
嘉永年間に出火・焼失したあと、信徒たちの手によって規模を縮小して現在地に遷座・再建されました。この1883年時点の設計者に関する明確な名前は公式資料にありませんが、三條栄三郎ではありません。
・1934年(昭和9年)の再建:
1883年に建てられた社殿が老朽化したため、1934年(昭和9年)に再建された現在の社殿を設計した人物こそが、当時すでに建築家として高名であった三條栄三郎(当時62歳)です。正しくは「現在の社殿(1934年再建)の設計者が三條栄三郎」です。
2.太宰府天満宮・楼門の設計者について
こちらもご指摘の通り、太宰府天満宮の公式見解でも現在は明治神宮などを手掛けた近代神社建築の重鎮である安藤時蔵による設計とされています。長年、地元福岡の技師であった三條栄三郎の設計であると巷間伝えられていました(Wikipedia等にもその記述が残っています)。しかし、実際の棟札や詳細な建築調査が進んだ結果、現在太宰府天満宮公式ウェブサイトの楼門案内でも、この表裏で形の異なる手の込んだ設計は安藤時蔵によるものと明確に修正・記載されています。三條栄三郎は、福岡県側の担当技師や現場の工事監督などの立場で関わっていた、あるいは混同されていた可能性が高いと考えられます。的確なご指摘をいただいたおかげで、誤った情報を正すことができました。心より感謝申し上げます。
やまねこさんコメントありがとうございました。
①再建の時期はご指摘のように1883年を1934年に修正しました。
②太宰府天満宮の楼門の設計者についてはブログに最初三條栄三郎と書きそのあと追加で安藤時蔵と説明していました。https://dazaifumiryoku.com/private/7532/
今回はわたしも曖昧なまま書いていたので指摘されすっきりしました。本当にありがとうございました。感謝しています。
やまねこさん
とても面白く読ませてもらいました。
AIに間違いを気づかせるなんて…素晴らしいの一言です。
塾長は、いつも本を読んだり、何度も調べに出かけられたり…と向学心強いので
是非、博識のやまねこさんと対談されてブログに上げて欲しいです。
もし、いいよ〜となって…
会合は何人でもOKでしたら
わたしも参加させてもらいたいです🎵
そう思う人、何人もおられると思いますが、どうでしょうか❓️✨️
このブログ読むことで
知らないところなど、いろんなこと教えてもらって
とても嬉しいです。
思えば数年前…
サークルの人が
『太宰府は宝の山』と言われたことがきっかけで
ここを読むようになりました。
近いのに、本当に何も知らなかったんですよね。
知らないと、もったいない❗️の思いが強いです。
ただ、記憶が悪くなかなか頭に定置しないのですが(笑)💦
季節的に散策もしやすいし、御開扉の10月25日は是非出かけたいと思っています。
momoさんコメントありがとうございます。太宰府を中心にブログ始めて約9年、まだ続いているところをみると宝まではいかないにしても太宰府にはいろいろなテ−マがあるということかもしれませんね。
momoさんが云われるようにやまねこさんのファンは結構おられるのでご一緒に食事会でもとなれば4〜5人はすぐ集まると思います。
やまねこさ〜ん
是非、色よいご返事お待ちしております🎵
塾長初め、ブログ仲間楽しみにしてると思います。
今日、momoさんのコメントを拝見しました。返信が遅れて申し訳ありません。
一昨年の10月、福田塾長に励ましのコメントを送ったとき、「やまねこ」というネームから西表島を想起されたとの返信をいただいたこと、よく覚えています。実は、同島に因むネーミングだったからです。以前から「やまねこさんって何者」と関心を持たれ、長文のコメントもスルーせずにお読みいただいているようで感謝しています。
当ブログには時々コメントしていますが、福田塾長の偉業達成、そして、皆さんの好奇心向上の一助になればと思い、駄文の投稿を続けています。当面は、このスタンスを保ちたいと思っています。
やまねこさん
今も、AIのところを読んでみました。
『私の確認不足により…』と書いてあって、またまた笑ってしまいました。
AIに間違いを気づかせるなんて…どんな方なんだろう〜お会いしてお話をしてみたい🎵と思いましたが、難しそうですね。
これからもやまねこさんのコメント楽しく読ませて頂くことにします。
西表島は去年、息子が連れて行ってくれて…
アウトドアの企画ばかりの中、勉強系ツアーがあり、ガイドの方と私たち3人で1日回りました。
マラリア、炭鉱。
行くときから沈み始める…一人乗りベニヤ板で作られた水上を走る特攻艇の『震洋』の格納庫など見て…強く心に残りました。。
機会あれば、また行ってみたいです。