こんにちは!太宰府魅力発見塾塾長の福田です。
福岡市の渡辺通りの名前の由来
初代 渡辺與助
福岡の一等地に数多くのオフィスビルを所有する紙与産業グループ。その創業者である渡辺家の歴史は1825年、初代與助が博多で開業した紙与呉服店がルーツ。
幕末に大阪で投げ売りされていた呉服や反物を大量に仕入れ、それを九州で売って大儲けし九州一の呉服屋に発展。
三代目 渡辺與八郎
1889(明治22)年に3代目として家督を継いだ渡辺與八郎は、当時行われていたさまざまな都市開発に多大な貢献。
1866(慶応2)6.13 ~1911(明治44)10.29(享年45才)
第13回九州沖縄八県連合共進会
1910(明治43)年、明治政府の殖産興業政策の一環として福岡市で開かれた第13回九州沖縄八県連合共進会。その会場となった旧因幡町(現在のアクロス福岡から天神中央公園、福岡市役所、天神イムズなど天神の中心地一帯)が湿地帯であったため、因幡山を削って埋め立てる費用を與八郎が負担。天神地区が発展を遂げる大きなきっかけになったと言われています。
共進会の開催に際し会期中の来賓接待所を兼ねて共進会会場東側の現在地に建設された旧福岡県公会堂貴賓館(現存 後述)
路面電車
その後、與八郎は、経済の発展には交通の利便性が重要と路面電車の創設に情熱を注いでいく。共進会に合わせて開通した「福博電車」(西鉄の前身)に続く、地場資本の電車の開通を目指し、天神から、現在の渡辺通りを通って博多駅へ、そして築港を通って天神へ戻る循環線「博軌電車」(博多電気軌道、西鉄の前身)です。
電車用地の買収
当時の福岡市の人口は7万人。電車を走らせるための土地の買収を行っていきます。土地の多くは田や畑。電車幅だけの買収というわけにはいかず、與八郎は田畑ごと買い取っていく。そして1911(明治44)年10月2日、「博軌電車」が開業。電車開通の直後、與八郎は急病(ワイルス氏病)で同月29日に亡くなります。享年45歳。
九州大学誘致
福岡は当時九州大学が京都帝大の分校として九州に誘致される際に熊本と激しい誘致合戦を繰り広げました(当時は熊本が九州一の大都会だった)。このとき市も県も運動費用が底をついたときに與八郎氏が大金を出し福岡に誘致が決まったと伝えられています。
渡辺通りの名前の由来
渡辺通りの名前は 博多電気軌道 の設置に力をつくした渡辺與八郎 にちなみ 1969(昭和44)年 の福岡市制施行80周年を記念した道路愛称事業により制定。
渡辺通りとは九州最大の繁華街天神を南北に貫く通り(北は昭和通りの天神橋口交差点~南は城南線の渡辺通り1丁目交差点までの区間)。
全国各地に人名を冠した通りはありますけど、有名人の出身地やゆかりの場所などで観光的な意味合いが強いように思われます。地域に貢献したことで名前が残るのは珍しいケースではないでしょうか。
天神・博多の一等地にオフィスビルと駐車場を所有
3代目與八郎の貢献により、現在天神・博多エリアには、渡辺家(紙与産業グループ)関連のオフィスビル10棟、駐車場ビル4棟が所在する。紙与産業グループは、紙与産業(株)、紙与不動産(株)、渡辺地所(株)、(株)サンライトで構成されます。
代表的なビルである紙与渡辺ビル、紙与天神ビル、西日本新聞会館との共同ビルである西日本渡辺ビルには大丸福岡天神店が入店。グループ全体の年間賃料(売上高)は約50億円と予想されます。
買収した土地の電車軌道以外の土地にビルを建てていった結果、土地は電車通りになり、交通の便もよくなり上記のような高収益物件になっています。
紙与天神ビル
1階はEXCELSIOR CAFFE(エクセルシオール カフェ)
旧福岡県公会堂貴賓館
1910(明治43)年、福岡市で開かれた第13回九州沖縄八県連合共進会の開催に際し会期中の来賓接待所を兼ねて共進会会場東側の現在地に建設されました。
・会場の造成費用は與八郎が負担
・設計は三條栄三郎
三條栄三郎が設計した建築物は旧福岡県庁舎、福岡県立図書館、宮地嶽神社、筥崎宮拝殿・楼門、太宰府天満宮楼門など。
・重要文化財1984(昭和59)年5月21日指定
数少ない明治時代のフレンチルネッサンスを基調とする木造公共建物として貴重であるため重要文化財として指定。
渡辺與八郎は二日市温泉の開発と武蔵寺の再興も手掛けています。↓
二日市温泉
武蔵寺
以前紙与産業グループ所有の紙与天神ビルに通っていたこと、また先日旧福岡県公会堂貴賓館に行き両方ともに渡辺家に関係があるので「渡辺通り」の名前の由来について調べてみようと思いました。
與八郎の「忘己利他(もうこりた)」の精神、己れを忘れて他人を利する、この言葉は仏教の言葉ですけど、公私ともにビジネスでも個人的にも私心なく利他の精神で他人と接すれば世の中不思議と自分に返ってくるような気がします。
現在のグループ全体の年間賃料50億(売上高)は多大な功績に対する神様からの贈り物なんでしょうね。
いやはや渡辺一族の初代與助、三代目與八郎の人物像を通して福岡発展の歴史まで知ることができ大きな収穫でした。
塾長より
いつも記事をお読みいただきありがとうございます。
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私は渡辺通りに面した電気ビルに10年程勤めました。色々な思い出が浮かびあがってきます。渡辺通りが南北に走り東西に明治通り、国体道路が福岡、博多を支えています。先任の偉業に感謝しています。
水城さんコメントありがとうございます。電気ビルであれば渡辺通りの基点で諸々のことが思い出されることでしょう。
おはようございます。渡辺通りが人の名前とは、聞いていましたが詳しいことは、知りませんでした。まして九州大学が大阪帝大の分校とはー昔は、熊本が九州の中枢で電電公社、NHk、郵政省などの九州本部は全て熊本に集中していましたね。旧き良き時代です。ありがとうございました。
マンデーかやさんコメントありがとうございます。当時は熊本が九州の中心で九大が福岡に決まったころから中心が福岡にシフトしだしたのですね。
福田塾長、いつもお世話になっております。
また、今回のテーマは日頃から懇意にして頂いている渡邉家にかんする記事で大変興味深かったです!
弊社が入居している紙与天神ビルも出てきて、より身近に感じました。
渡辺通りが渡邉家の名前に由来していることは知ってましたが、これほど福岡市の発展にご貢献されたとは知りませんでした。
何代目かわかりませんが、私の大学の後輩でもある渡邉浩彬氏はちょくちょく弊社に立ち寄るので、今度、ご本人がどこまで知っているか、確認しておきます^^
今回も非常に勉強になりました。 ありがとうございました!
藤井社長コメントありがとうございます。現在のオ−ナ−とお付き合いがあるのですね。
ブログの内容がどの程度正確かお尋ねしてください。よろしくお願いします。
「渡辺通り」興味深く読みました。何も知らずに往来していました。先人に感謝ですね。ありがとうございました!
からつくんちさんコメントありがとうございます。
渡辺通りから福岡の歴史の勉強ができました。
渡辺通りヒストリー素晴らしいの一言。(物語と出来映え)
有名な大通りに、これほどの歴史があったんですね。(真ん中は歩けません)
初代が創業して二代目で・・三代目が・・と言いますが、この方の一族は堅実一路。
昨今、サラリーマン経営でサッサっと逃げ出す輩が多い中、このヒストリーを教典として身に着けてもらいたい思い。
塾長のご案内で、新たなる知識を得ました、感謝・感謝。
風の旅人さんお誉めいただきありがとうございます。京セラの稲盛和夫氏の「忘己利他」の精神はいつの時代にも通じるものだと思いました。
熊本出身の私は渡辺通りの事は何も知りませんでした。「渡辺通りヒストリー」いつにも増して内容が濃く、一つ一つの事実と、渡邊一族の考え方が素晴らしく、何度も読み直しました。どうしてもお金を手にすると私利私欲に塗れてしまう世の中のお金持ちや豪族とされる方々に是非見てもらいたい塾長の随筆です!福岡の発展にこんなに寄与された渡邊一族のことをもっと福岡県民にも知ってもらいたいですね!
キャンディさんコメントありがとうございました。
最近のブログ作成のおもしろかったベストスリ−は作成順に「太宰府天満宮と菅原文太」、「有名企業の社名の由来」とこの「渡辺通りの名前の由来」でした。
仰せのように最近の政治家、官僚、経営者に與八郎の爪の垢を飲ませねばなりませんね。
現在の年間賃料50億(売上高)は多大な功績に対する神様からの贈り物
なんでしょうね。
とても勉強になりました。
福田塾長さん
小生、熊本から福岡に転居して16年、まだまだ「福岡人」にはなれていませんが、今回の「渡辺通り特集」で、かなり福岡通になれそうです。
今度、1丁目からゆっくり歩いてみようと思っています。
詳しい案内、ありがとうございました。
storchさんコメントありがとうございます。改めて渡辺通り歩いてみるのも楽しいかもしれませんね。新しい発見もあるかもしれませんね。
福岡で渡辺通りに出会い驚きました渡辺をなろる一人としてル-ツを知りたいと思いました
なべしげさんコメントありがとうございます。どこか県外にお住まいでまだお若い渡辺ご一族の方でしょうか。渡辺家のルーツや功績を是非辿ってください。私たち福岡県人の誇りでもあります。
地域の埋もれた歴史を掘り下げて下さりそのご努力に頭が下がります。
コメントありがとうございます。今回の場合は何故だろうと興味を持ったことがブログに繋がったようです。
色々勉強になりますね。知らないことばかりです。
くりちゃんコメントありがとうございます。
知らないことばかりだから調べてみました。調べることはとても樂しいことです。
渡辺與八郎あっての福岡ですね!
天神エージェントさんコメントありがとうございます。ほんとうに渡辺與八郎あっての福岡ですね。
塾長さま
『渡辺通り』は人の名前から、ということしか知らなかったので大変面白く読みました。
それにしても幕末に大阪で呉服、反物が投げ売り。これを大量に仕入れて大金持ちに🎵🎵もう洋装の時代と思ったのでしょうが、さすが目をつけられるところが違いますね(笑)
三代目与八郎さんは45歳で急死されてるけど普通に生きておられたら…どんな素晴らしい事業をされただろうと残念に思いました。
ゆりさんコメントありがとうございます。福岡発展の大きな礎を築いた渡辺與八郎、己忘利他の精神で多大な尋常ならざる貢献をしたからか今では毎年50億の家賃収入があります。まさに神様からの贈り物でしょうね。
素晴らしい!福岡発展の歴史!読み応えがありました。
丁度孫(高校生)が遊びに来ていて、彼も又興味深げに読んでいました!
昭和の乙女さんコメントありがとうございます。おまごさんに興味持ってもらいよかったです。お孫さんも知るだけでも今後の人生の指針になるかもしれません。
福岡市の中心部の現代に至る繁栄の礎を築いてくださったこと分かりました。しかし45歳の夭逝。経済に関する天賦の才を持ち、かつ広く人民の為に奉仕する心を持った方、その存在を知る事が出来ただけでも良かったです。尊敬と感謝を覚えます。
紫式部さんコメントありがとうございます。稲盛和夫「動機善なりや、私心なかりしか」、この言葉に勝るとも劣らない福岡が生んだ歴代最高の人物ではないでしょうか。
渡辺與八郎の路面電車の実現を筆頭に素晴らしい功績ですね。決して売名的野心がなく、街の発展の為ならと財産を投げ出すその理念は、本当に稲盛和夫さんの理念と共通するものがありますね。
稲盛和夫さんの「人間として、何が正しいのか」という原理原則に立ち戻るということを心の隅においておこうと思います。難しいことですが。
マリリンさんコメントありがとうございます。そうですね稲盛和夫も鹿児島出身で同じ九州の福岡出身の渡辺與八郎の功績に感銘を受け会社の経営方針に「忘己利他」を据えたのかもしれませんね。