こんにちは!太宰府魅力発見塾塾長の福田です。

今回は「如水社」を案内します。

 

太宰府天満宮と黒田官兵衛は実は深いつながりがありました。

関ヶ原の戦いの功績で、中津から福岡52万石に封ぜられた黒田官兵衛・長政親子は旧那珂郡福崎で築城を開始。

黒田氏ゆかりの地・備前邑久郡福岡にちなんで、新しい城に福岡城、城下町に福岡と名付けます。

 

官兵衛は、戦火に焼かれて荒廃していた「大宰府天満宮」を寄進・再建しています。

現在の社殿は天正19年(1591)筑前城主・小早川隆景が再建したものですが、官兵衛は楼門、廻廊、末社や橋なども整備しました。

 

さらに社領二千石を寄進した官兵衛を、天満宮は「中興の祖」とあがめました。

そのため毎年正月、5月、9月の月忌二十日には官兵衛が好きだった連歌会を催し、それは明治に至るまで続いたそうです。

 

なお官兵衛自身も天満宮を深く崇敬し、2年間草庵「如水社」を構えていました。

その時に使用したといわれる井戸が、今も残っています

 

如水社

黒田如水が福岡城に入るまでの2年間、太宰府天満宮境内で過ごした場所「如水社」、

太宰府天満宮の敷地内にあります。

 

その時に使っていた井戸です。

NHK大河ドラマの題材にもなった「黒田官兵衛」その人が、この太宰府の同じ地で暮らしていたと想像するとなんとも面白いですね!

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塾長より

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