こんにちは!太宰府魅力発見塾塾長の福田です。

先日福岡県糸島にドライブで行った時に「伊都国歴史博物館」に立ち寄りました。

糸島ドライブ紀行は後日アップします。

伊都国歴史博物館

平原遺跡(弥生時代・約1800年前)から出土した日本最大の銅鏡で国宝の内行花文様(直径46.5cm)をはじめ、市内の遺跡から出土した古代から近世までの貴重な文化財が収蔵・展示されています。

 

伊都国

「魏志倭人伝」に登場する国。

「伊都国」の名は中国の歴史書「魏志倭人伝」に登場します。

その伊都国は約1800年前に、ここ糸島に存在した古代の国です。

「魏志倭人伝」には、伊都国に代々の王がおり、日本の外交の窓口であった、と記されています。この記述が、遺構の内容や出土品とまさに一致することが糸島の最大の特徴です。

 

 

伊都国の時代ー弥生時代

「伊都国」と呼ばれるクニが生まれ外交の窓口として栄えました。

 

 

 

三雲南小路王墓ー王の出現

市指定史跡

弥生時代中期後半(約2000年前)の大型方形墳丘墓で1号甕棺墓、2号甕棺墓が発見され、他には見られない豪華な副葬品や墓の規模から伊都国の初代三雲南小路王墓と考えられています。1号に王が、2号に王妃が埋葬されたと考えられます。イト国の誕生です。

 

 

 

平原遺跡

国指定史跡

弥生時代の後期から終末期(2世紀頃)の墳丘墓で日本最大の銅鏡をはじめ豪華な副葬品が出土。ネックレスなどのアクセサリーが多いことから、墓の主は女性即ち女王の墓と考えられています。出土品はすべて国宝に指定。

 

 

日本一の大鏡

弥生時代終わりごろの伊都国には近畿地方と比べてもひけをとらない大きな権力が集まっていたと考えられます。

 

 

ヤマト政権の誕生ー古墳時代

糸島地方では朝鮮半島のものに似た形の土器や墓が発見されており、さかんな国際交流が行われていたことがうかがえます。

 

 

 

貴族の世の中ー古代怡土城

天皇を中心とした国の体制ができあがりました。糸島地方には怡土郡(いとぐん)と志摩郡がおかれました。当時の東アジアの情勢から、大宰府の西の守りのために糸島地方にも768年怡土城が築かれました。

怡土城

他の古代山城(朝鮮式山城・神籠石系山城)が飛鳥時代の天智天皇(663年)の白村江の戦い頃の築城とされるのに対して奈良時代の768年築城である点が特色で、文献上で築城担当者・築城期間が明らかな点、他の古代山城のような朝鮮式山城でなく大陸系の中国式山城である点でも重要視される遺跡です。

 

武士の台頭ー中世

糸島地方では原田氏が力をつけ、高祖城、二丈岳城などの山城が築かれるようになったのもこのころです。

 

 

今まで糸島は海沿いの風光明媚な観光地だとばかり思っていましたけど2000年前の「奴国」と同時代の「伊都国」というロマン溢れる歴史があったということを初めて知り驚きでした。

恥ずかしながら「漢倭奴国王」という言葉は知っていましたけど奴国がどこにあるかも考えもしませんでした。

奴国は伊都国を知り、調べるうちになんと太宰府の隣町今の春日市にあったことを知り後日ブログにアップします。

糸島も観光地としてのPRも重要ですけど古代国家「伊都国」ももっともっと力を入れてPRしたらと思いました。

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