こんにちは!太宰府魅力発見塾塾長の福田です。
老松神社
道真公が舟を下り最初に太宰府に上陸したとされる地。
ここから水城の関を通り国分の衣掛天神の所で汚れた旅衣を改められ太宰府に入られる。
住所:太宰府市水城1-20-11
(写真提供うっちゃん)
本殿
老松神社由来
御祭神:菅原道真公
説明板
「当社は水城村の氏神として水城村中が先祖代々承け継ぎお守りしてきた神社であります。創建の由来は明らかではありませんが口伝によると菅原道真公が大宰権帥として左遷され九州にお下りになった時、博多より御笠川を船で上がられ、ここ水城の渡しに上陸されついて、水城の関を通り国分の衣掛天神の所で汚れた旅衣を改められ太宰府にお入りになったと伝えられています。その水城の渡しの跡当社殿裏に残っています。
なお太宰府天満宮の古文書1352年の安楽寺(太宰府天満宮)領注進目録に『水城空閑』と記されており、これ以前の時代にすでに水城の地が太宰府天満宮と深い持つようになったことが知られます。その縁によって菅原道真公ゆかりの老松神社が勧進されたとも考えらます。
全国各地にも道真公を御祭神とする老松神社が鎮座しています」
鳥居
本殿
本殿内の扁額
遥拝所から遠方の左の高い天拝山を望む
(写真提供うっちゃん)
「老松神社所有の水城を文化庁に売却したとあります。S47年」
ここ水城の渡しに上陸され、水城の関を通り国分の衣掛天神の所で旅衣を改められ、今の榎社に入って行かれるわけですけど、栄転ならいざ知らず左遷も罪人扱いで1年後には息子隈麿公を6才で亡くし、その翌年には9才の娘紅姫を残して亡くなります。その悲しみ苦しみはいかばかりだったことでしょうか。
▶fukuda0917@yahoo.ne.jp
塾長より
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老松神社の成り立ちが良く理解出来ますね。水城堤防は老松神社所有だったとは思いもしませんでした。東門付近の堤防頂部に個人のお墓が存在していますし博多側の桜の木も老松神社の氏子さんらが植えられたと納得できます。まだまだ老松神社の歴史が知られていません。是非、官公を偲ばれて御笠川から上陸されたとされる地点を覗いて欲しいと思います。合掌
水城は老松神社の所有だったんですね。初めて知りました。天神の水鏡天満宮とこの老松神社もみなさんに知ってもらいたいスポットですね。
紅姫のその後です。
紅姫の供養塔は筑紫野市京町北児童遊園にあります
隈麿が亡くなった翌年、父親である道真公も亡くなります。
その後の紅姫がどうなったかは定かではありません。
土佐に流された道真公の長男、高視(たかみ)の元に
向かったともいわれています。
篠栗の紅姫稲荷神社には、兄への密書を携えて逃亡中、
敵方に捕らえられ刺されたとの伝説が残っています。
刺された後、紅姫の姿は白い狐に変わったとのことです。
水城さんコメントありがとうございます。
多分藤原時平でしようけどそこまで執念深く追いかけて来たのですね。
匿名は塾長でした。