こんにちは!太宰府魅力発見塾塾長の福田です。
先日福岡市博多区千代にある崇福寺に行ってきました。
横岳山 崇福寺
宗派:臨済宗大徳寺派
本尊:釈迦牟尼仏
住所:福岡市博多区千代4-7-79
「仁治元年(1240)、湛慧が大宰府横岳に創建。翌年宋から帰国した聖一国師(円爾弁円)が招かれ開堂説法。文永9年(1272)に大応国師(南浦紹明)が入寺し開山となる。同派三道場の一つ。九州触頭。当初は大宰府にあったが、黒田長政が筑前の藩主になると、現在の千代町に移転させた。福岡藩主黒田家の菩提寺。かつての伽藍は海岸まで続き広大な寺域を誇ったが、福岡大空襲により灰燼に帰した」
2代藩主・忠之、3代藩主・光之、8代藩主・治高の墓所は東長寺にある。
山門 西都法窟
福岡城本丸表御門を移したもの
臨済宗 大徳寺派 専門道場
重要文化財
衆香国
唐門
名島城の遺構と伝えられる唐門
県指定重要文化財
県指定重要文化財
本堂
藤水門
藤水門の由来
「福岡藩主黒田家墓所は、福岡文化財保護指定となり参詣者のための通用門として平成11年3月20日に落慶し、第15代黒田長久様により『藤水門』と命名された」
黒田家歴代墓所
黒田官兵衛之墓
玄洋社墓地
玄洋社( 1881年 – 1946年 ):旧 福岡藩 (黒田藩)士が中心となって、 1881年 ( 明治 14年)に結成された アジア主義を抱く政治団体 。 日本で初めて誕生した右翼団体ともいわれる 。
頭山満先覚之墓
頭山 満(とうやま みつる、安政2年(1855年)~昭和19年(1944年)明治から昭和前期にかけて活動したアジア主義者の巨頭。玄洋社の総帥でもある。
来嶋収喜之墓
来嶋収喜之1860年安政6年(1860年)~明治22年(1889年)は、日本の活動家、テロリスト。玄洋社元社員。
明道会
他に嶋井宗室などの墓もあります。
藤香会
藤香会は筑前那珂警固村福崎に福岡城を築き、福岡の基礎・文化を築いた黒田長政、その父黒田官兵衛を広く顕彰するために発足。
平成25年度NHK大河ドロマ「軍師官兵衛」放映記念式典
主催 藤香会(於崇福寺)
記念撮影
前列右:福岡藩黒田家16代長高現当主、左:藤香会会長 山崎拓元自民党副総裁
後列中央:福岡県立修猷館高校(旧福岡藩藩校)校長、二列目右:筆者
吾妻屋饅頭
境内にあるお土産屋さん
崇福寺には藤香会主催の長政公、父官兵衛の法要や墓所の清掃のため毎年行っていましたけど墓所の管理が市に移管してからは行く必要がなくなりました。
先日久しぶりに訪ね境内を見て回り当時を懐かしく思い出しました。
太宰府の前身の横岳山崇福寺にも時々行っていますけどこちらは廃寺になっているようです。
PS
以下ひーさんより。
写真20枚近く送っていただいた中で紙面の関係で本の一部だけをアップいたしました。
我が家の碑文書の一部です。
長政公の戒名です(興雲院殿ーーー)
最後の文面で林羅山直筆によるサインが記してあります。
長政公の建て替える前の朽ち果てた墓石です。
現在の墓石
▶fukuda0917@yahoo.ne.jp
塾長より
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我が家には江戸時代、徳川家康に仕えた儒学者の林羅山が記した長政公の碑文書があります。息子の忠之が江戸に申して書いて貰った碑文書で字数は2535文字です。長政公が生まれ朝鮮の役や関ヶ原で活躍した内容が記してあります。私も崇福寺にのお墓を確認してきました。本来なら墓石に碑文が彫られていますが長政公の墓はS 26年に建て替えられており確認出来ませんでした。興味ある方は我が家で確認下さいませ。塾長に写真は送付しておきます。
ひ−さん写真と解説ありがとうございます。ブログにPSでアップさせていただきました。歴史の宝庫で貴重な資料お持ちですね。
長政公の碑文書の作成は亡くなった翌年の寛永元年(1624年)に羅山が書き上げていますね。
長政の2番目の正室には家康の姪子が嫁いでいるので徳川家とは親戚関係になります。
よって忠之からの願いで江戸で作られたと察します。歴史は深いですね。
うっちやん説明ありがとうございます。長政公の徳川家定から嫁いで来た奥方は秋月の大凉院にお墓がありますね。