こんにちは!太宰府魅力発見塾塾長の福田です。
先日2020.2.24北九州平尾台の野焼きを見に行く前に少し時間があったので、小倉城に歴史を知らなかったので一度は寄ってみたい思っていてちょうどいい機会でしたので立ち寄りました。
時間がなかったので写真の数も少なくなっています。
小倉城
住所:北九州市小倉北区城内2−1
1569年(永禄12年)、中国地方の毛利氏が城を築いたことから始まり。
1600年(慶長5年)、関ヶ原の戦いの論功行賞で丹後国宮津18万石の領主であった細川忠興が黒田氏の居城であった豊前国の中津城に入城(豊前国1国と、豊後国速見郡、国東郡合せて39万9千石を賜る)
1602年藩庁を小倉城に移して小倉藩となる。中津城は支城となり城代が置かれた。
それから7年かけて毛利氏の居城であった小倉城を改築し居城した。
細川氏の熊本転封の後、1632年に小笠原忠真が入城し、以後幕末まで小笠原氏が居城した。
細川 忠興
戦国時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。丹後国(京都)宮津城主を経て、関ケ原の戦いで功をたて、黒田氏の居城であった豊前中津藩(大分県)の藩主(30万石)となり、1602年(慶長7年)豊前小倉藩の初代藩主となる。その後 肥後細川家初代。
細川ガラシャの夫
小倉城の天守閣は、「唐造り」と呼ばれ、4階と5階の間に屋根の庇がなく、5階が4階よりも大きくなっているのが特徴。
迎え虎、送り虎↓
八坂神社
住所:北九州市小倉北区城内(小倉城城内)
細川忠興が1617年(元和3年)に領内を守護する総鎮守の神社として創建。
御祭神:須佐之男命 他多数
2020.2.24撮影
お城の近くにソメイヨシノでしょうかピンクにキレイに咲いていました。
小倉城の歴史、城主(細川、黒田、小笠原)との関係、中津城との関係などがわかりとても有意義な見物になりました。
「迎え虎」と「送り虎」の絵は時間の関係で見られなかったので次の機会には是非見たいと思います。
塾長より
いつも記事をお読みいただきありがとうございます。
もしよろしければ記事の一番下にある「コメントを残す」より
コメントを書いていただけますと、記事を書く励みになります。
お名前はニックネームでも大丈夫です。
これからも太宰府の魅力をお伝えしていきますので
応援よろしくお願いします。
福田塾長さん
先日は、小倉城→八坂神社→平尾台野焼きへと一日中、
ご一緒できて、楽しく充実した1日でした。 小生、
写真を撮ることに重心が偏っているので、塾長がブログにアップされて
詳しい歴史的背景などを書き加えて頂き、大変勉強になります。
ただ、その後は、ほとんど頭に残っていないのが、申し訳なく
情けないことです(^_^;) でも、勉強になるのは間違いありません。
Storchさん小倉城と野焼きご一緒していただきありがとうございました。初めて見る野焼きは感動でまた来年も行きませんか…
黒田藩が小倉との境界を固めたのが以下の理由だとありますね。
「黒田六端城は筑前六端城とも呼ばれ、関ヶ原合戦後に筑前国福岡に入封した黒田長政が国境を守る為に設けた六つの出城である。 六端城はすべて本城である福岡城より東側に設けられ、麻底良城を除いてはすべて豊前国との国境に構えられている。 これは黒田長政が豊前国の細川忠興と不仲であったからだとされる」
ひ−さんコメントありがとうございます。
そういう理由だったのですね。
本城である福岡城の南側になぜないのか疑問でしたけとようやくわかりました。
ありがとうございました。