こんにちは!太宰府魅力発見塾塾長の福田です。

赤穂義士遺髪塔

この案内板は福岡から熊本への里帰りの道中見てましたけど「赤穂義士遺髪塔」という字に気づいていませんでした。

赤穂十七義士遺髪塔由来

 

1703年赤穂義士47名は四大名(細川、松平、毛利、水野)の江戸屋敷に預けられ、大石内蔵助始め17名は沙汰が下りるまでの50日間肥後細川江戸屋敷に預けられた後そこで切腹しました。

江戸屋敷では「武士の鑑」と厚くもてなし、接待役である家老の堀内伝右衛門はせめて遺髪だけでもとわけてもらい自分の菩提寺である山鹿のここ日輪寺に遺髪塔を建て菩提を弔いました。

 

大石内蔵助の銅像

 

日輪寺は曹洞宗のお寺で春にはつつじの名所として多くの観光客が訪れるそうです。

 

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塾長より

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