こんにちは!太宰府魅力発見塾塾長の福田です。
小野小町の生誕地 【小野泉水公園】
「花の色は うつりにけりな いたずらに わが身よにふる ながめせしまに」(小町)
小野小町が生まれたときにこの泉水の湧き水を産湯に使ったといわれている熊本市植木町の小野泉水公園
生誕地の由来
小野小町の父親である出羽郡司小野良実(秋田出身)は養父である公卿小野篁(たかむら)の罪に連座して植木へ流されこの地で小町が生まれました。
小町堂
奥の赤い建物。内部には小町の像が安置されています
太宰府の長官で958年に曲水の宴を始めた小野好古、小野道風(菅原道真・空海と並び書道三聖の一人といわれた)の二人の兄弟の父親は小野葛絃(くずお)で祖父は小野篁(たかむら)。
小野篁は小町の父親小野良実の養父ですので父親同士葛絃と良実は兄弟となりその子 好古と道風と小町とはイトコ同士になります。
太宰府天満宮の参道にある小野筑紫堂と小野東風軒(小野道風軒とするところを道真公の 東風吹かば・・・ に因み小野東風軒に変えてるところはなかなか粋ですね)は小野家の末裔の方が経営しています。
小野東風軒の店主も美人でしたので「奥さんも小町に似てたんじゃないですか」と言いましたら「小町はおかめだったんですよ」と言われました。
歴史上の人物が今に繋がりこれも歴史の楽しみかもしれませんね。
小野小町
平安時代前期の女流歌人
生誕の年月日や場所も不明。生誕伝承地、墓、ゆかりの場所も全国に点在しています。
女性として唯一「六歌仙」(ろっかせん:平安時代の代表的な6名の歌人)に選ばれています。
世界の三大美人の一人(小野小町、楊貴妃、クレオパトラ)に数えられるほどの美人。
その後山鹿に行きました。
八月の山鹿灯籠まつりは大宮神社に踊りを奉納して始まります。
女性が頭にかかげる金灯籠は木や金具は一切使わず和紙と糊だけで作られ、値段は約五万円で灯りはペンライトだそうです。
山鹿灯篭祭りのクライマックスは、1000人の女性が踊る「千人灯篭」
夜、灯篭に灯りを点けて踊る姿を今年は見に行こうと思ってます。
小野小町の縁戚にあたる小野筑紫堂
小野小町の縁戚にあたる小野東風軒。今は閉店している。
▶fukuda0917@yahoo.ne.jp
塾長より
いつも記事をお読みいただきありがとうございます。
もしよろしければ記事の一番下にある「コメントを残す」より
コメントを書いていただけますと、記事を書く励みになります。
これからも太宰府の魅力をお伝えしていきますので
応援よろしくお願いします。
小野小町のことを知るきっかけになりました。ありがとうございました。
からつくんちさんコメントありがとうございました。
歴史上の人物かと思ってましたら実在の人物だったんですね。
小野好古は太宰府に縁のある人と知っていましたが、小野小町まで九州に縁のある人とは知りませんでした。ありがとうございます‼️
五男さんコメントありがとうございました。
関係ないですけど実は私のル−ツも植木なんです。初めて知りました。
小野小町と 小野道風が 親戚であることが 初めてわかりました😀
なおかつその流れをくむお店が 太宰府天満宮の 参道にあることを 初めて知りました!
色々繋がりがあって面白いですね
カワカミさんコメントありがとうございました。
色んなことが繋がっていくのがとても楽しみですので今後も魅力発見に努めます。
冒頭の短歌は一番好きな短歌です。
小町が熊本生まれだったなんて驚きです!
いっそう親しみが湧きました。
山鹿千人灯篭、幻想的ですよね!
また観に行きたいです。
あべたんコメントありがとうございました。
千人灯籠幻想的でしたよね。
今年は見に行こうと思ってます。
小野小町は植木だったのですか?
勉強不足で始めてしりました。
そしてオカメだったとは?面白い!歴史もたのしみながら歩いて調べると身につきますね。
有難うございました。
料理好きの昔乙女さんコメントありがとうございました。
おかめは当時の美人の条件だったかもしれませんね。店主も下ぶくれの美人でした。
小野の泉水、熊本にいた頃、2~3回行ったことが ありますが、由来などは忘れていました。
たしかに、お多福みたいな顔だったとか聞きました。
山鹿灯籠祭は、日本お祭りの中で最も上品な 祭ではないかと思います。昨年撮影に行きました。
今年も行きたいですが…
storchさんコメントありがとうございました。
ほんと上品な踊りですね。
能に通じるところがあるような気がします。
ホタルとテストマーケティングの話は歴史にそんな興味ない俺でも面白かった。
小野小町、知ってるけど昔との美人の価値観の違いとかあるのかもしれない。
幸さんコメントありがとうございました。
ご愛読も感謝します。
テストマ−ケティングに福岡が選ばれる理由をみると福岡の特徴をよく表してると思いますね。
この話しはなかなかおもいろい!
七福じいさんコメントありがとうございました。
小町の父親は秋田出身だから美人というのは納得ですね。
今日初めて読ませて頂きました。当栃木には小野寺地名が有り、小町が晩年に住み、老齢で醜くなった身を嘆き、近くの円仁縁の寺の裏山崖より身を投げ自殺、村人が哀れみ墓を造り、今に残る。
ほうきゅうさん栃木からコメントありがとうございます。やはり美人は薄命がいいのかもしれませんね。
もしよろしかったらお墓の写真このブログの下の方にあるメニューの中のお問合わせから送ってもらえませんか。
小町は、おかめだったんですよ。思わず、クスッと笑いました。確かに下ぶくれの顔が美人の証拠だったんですね 歴史的な太宰府との繋がりを知る事が出来ました。
山鹿千人灯籠は、確か一晩中踊るのでは?以前1泊して見に行きましたが、静かで岐阜(❓)の風の盆と重なります。
勘九郎さんコメントありがとうございます。おかめには思わず笑ってしまいました。歴史が繋がるときが一番の喜びかもしれません。
小野小町の生誕地にまつわる伝承は多数あるのですが、福田塾長のブログを読むと、植木町が最有力説のように思えました。
小町が詠んだ桜の名歌を久しぶりに目にし、唐代の劉希夷の詩の中の一節、「年々歳々、花相似たり 歳々年々、人同じからず」を思い起こしました。
いつまでも、このブログを皆で穏やかな気持ちで拝読できることを願っております。
やまねこさんコメントありがとうございます。平安時代の六歌仙に選ばれるほどの人でも生年月日や生誕地がわからないものなんですね。だから全国各地に生誕地と言われる場所があるのかもしれず、それはそれで楽しいのかもしれませんね。
みなさんにこのブログを穏やかな気持ちで読んでいただく前に、わたしが穏やかな気持ちで書いていかないといけませんね。ありがとうございます
小町の父は、秋田出身で熊本の植木まで流されたとのこと、何でそんな遠方に流されたんでしょうね。小町が山鹿灯籠の植木で生まれ太宰府との縁もあったんですね。小町がおかめだったとは、本当でしょうか?人の見方は、差がありますから分かりませんね。有り難うございました。
チュウ返りさんコメントありがとうございます。小野小町の父親は秋田から京都の公卿である小野篁(たかむら)の養子になり、篁の罪に連座して植木へ流されとありますので秋田から直接植木ではないようです。
小町のイトコの末裔が現在太宰府の参道でお店を経営していて、店主がおかめと言ったのは身内を謙遜して言ったのかもしれませんし、当時はおかめが美人だったのかなとも思っています。歴史が現在に繋がってくるところがブログを書いていての面白さかもしれません。
植木が小町の誕生地とは、熊本生まれの私も初耳です、美人だから全国で誕生地の争奪戦ですね、植木も他に負けずもっとPRしたらいいのにと思います。思い出しましたが、裁縫に使う待ち針ですが、頭が丸くて糸穴がありません、ご存知の方もいらっしゃるでしょうが小野小町由来のようです、絶世の美女ながら一生独身、これはきっと生まれつき身体に不具合があっただろうと下種(げす)の勘繰りの話があります、大きなお世話ですね。
福寿草さんコメントありがとうございます。
おっしゃるように植木の小野泉水公園にしても菊池の西郷隆盛の祖先の地にしてももっともっと宣伝すればいいのにといつも思い、菊池市役所には電話でアイディアを伝えたことがあります。
小野小町生涯独身だったからまち針の名前の由来になったんですね。初めて知りました。