こんにちは!太宰府魅力発見塾塾長の福田です。

先日黒田節で有名な福岡藩 黒田二十四騎の一人【母里太兵衛】の史跡を訪ねてきました。

福岡市 西公園と博多駅前と天神の三か所にありました。

母里太兵衛

母里 太兵衛(ぼりたへい)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将。黒田氏の家臣。槍術に優れた剛力の勇将として知られ、栗山利安(通称善助、その子が大膳)と共に黒田軍の先手両翼の大将を務めました。

黒田二十四騎の中でも特に重用された黒田八虎の一人であり、また、「黒田節」に謡われる名槍「日本号」を福島正則から呑み獲った逸話でも知られます。

母里太兵衛は福岡藩黒田六端城の一つ直方の鷹取城1万8千石の城主に、その後嘉穂郡の大隈益富城城主になり、元和元年(1615年)60歳で没しました。墓所は福岡県嘉麻市大隈町の麟翁寺(りんのうじ)にあります。

①西公園の光雲(てるも)神社の境内

 

母里但馬守太兵衛友信像

②博多駅前

 

 

 

 

黒田節

 

酒は飲め飲め 飲むならば~♪
日の本一の この槍を~ 飲みとるほどに 飲むならば~♪
これぞ真の 黒田武士~♪

黒田節の由来

文禄五年(1596年)正月、黒田長政の家臣、母里太兵衛は主命により福島正則の邸に使しました。宴酣(たけなわ)となり、正則は酒杯を固辞する太兵衛に、この大杯で飲むならば褒美は所望次第と強要します。太兵衛はこの上の辞退は武士の恥辱と即座に大杯三杯を飲み干して、正則が秘蔵する大公秀吉下賜の名槍日本号を手に悠々として辞去し、黒田武士の真骨頂を発揮しました。

今日の黒田節はこの逸話を謡った筑前今様であります。

③福岡天神センタービル

母里太兵衛子孫の屋敷は明治通り沿いの天神町(現在の福岡天神センタービル)にありました。その屋敷の長屋門が福岡城内(平和台競技場入り口前)に移転保存されています。

 

 

 

母里太兵衛屋敷跡

 

銅像は博多駅前だけかと思っていましたら、先日西公園に行きましたら光雲神社の境内にもありました。また天神センタービルの前には母里太兵衛子孫の屋敷跡がありました。

同じ人の史跡が市内に3か所もあるというのは黒田藩時代の功績また今も市民に根強い人気があるからでしょうね。

もし他の場所もご存知の方おられましたら教えてください。

 

PS

早速郷土歴史家のうっちゃんから以下情報の提供いただきました。

 

「以前散策した嘉麻市の麟翁寺にあるお墓と益富城跡です。以外とこぢんまりとしたお墓でした。

 

益富城

 

 

 

 

一夜城伝

「一夜で出現した秀吉の城」益富の一夜城

 

 嘉麻市観光ポータル
【一夜で出現した秀吉の城】益富の一夜城
http://www.e-kama.net/area/益富の一夜城/

 

「日本号」でしょうか。

 

 

麟翁寺

 

 

母里太兵衛の墓

 

刀と子孫の母里忠一さんです。

 

 

関の孫六

所蔵:うっちゃん

 

黒田長政公依拝領也

 

母里家伝来

 

 

早速刀と益富城の貴重な写真をありがとうございました。

お蔭さまでブログの内容が非常に充実し深みが増しました。

近いうちに訪問したいと思います。

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fukuda0917@yahoo.ne.jp

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