こんにちは!太宰府魅力発見塾塾長の福田です。
今回はうっちゃんから数年前に参加された日露戦争の「日本海海戦の戦没者を悼んだ洋上慰霊祭」の写真が送ってきました。
珍しい行事ですのでみなさんにもご紹介します。
以下うっちゃんからのメールです。
親しい自衛隊OBから誘いがあり参加してきました。
護衛艦「あきづき」に乗艦し博多港5号岸壁から玄界島まで行きました。
でかくて長くスマートでした。ヘリ空母「いせ」が付いて来ました。
ヘリ空母「いせ」
いつでも垂直発進できるジェット機を搭載できると察します。
護衛艦「あきづき」
乗艦した「あきづき」はレーダー、対空ミサイル、ヘリ搭載、バルカン砲、操縦室などの装備は イージス艦と同等であると聞きました。
乗艦を終えて。
博多湾を出て玄界島付近まで航海して海上に花の献花をしました。自衛隊OBが多く招待されていました。
海上を滑るように進み気持ちが良かったです。船体も大きく離岸、接岸するのもキャッチャーボートが必要でした。
5月27日はロシアに配慮して「洋上慰霊祭」との名目でした。玄界島から 対馬海峡方面を望んでの慰霊祭でした」。
以上うっちゃん写真の提供と説明ありがとうございました。
日露戦争
日露戦争は1904(明治37)年2月8日~1905(明治38)年9月5日にかけて大日本帝国(日本)とロシア帝国(ロシア)の間で行われた戦争。
1904年に開戦し、日本は一年かけてロシア軍の旅順要塞を占領。
そして翌年に日本は奉天会戦で勝利し、その後の日本海海戦ではロシアのバルチェック艦隊を破りました。
1905年9月に日露両国は、アメリカ大統領のセオドア=ローズヴェルトの仲介でポーツマス条約を締結し、日露戦争は
日本の勝利で幕を閉じます。
明治27年わずか27年前まで刀を差していた日本が日清戦争で勝利し、その10年後の明治37年には日露戦争で勝利しています。その日露戦争での勝利の大きな要因は日本海海戦で勝利したことです。
その戦場が日本海のここ博多の玄海島沖対馬海峡だったのです。
改めてわたしたちは戦争で亡くなった人たちを悼み当時の関係者、戦った人たちに感謝と敬意の念を表します。
今後は日ロ間の緊密な連携と両国の発展を祈念します。
以下もうっちゃんから
「縁あって体験研修に参加したときの写真です」。
①H16年日出生台演習場と築城基地です。
春日基地からメタバル基地に移動しCH-47大型ヘリに搭乗し別府駐屯地に着陸しました。そして74式戦車に乗って走りました。築城基地ではスクランブル発進を観ました。(写真撮影不可)
②H25年には佐世保海自特殊艦「あまくさ」に乗艦しました。
うっちゃんより「良い経験をさせていただきました」。
わたしたちが知らないところで自衛隊は陸や海上での日夜を問わない訓練で私たち国民の平和を守っています。
改めて自衛隊のみなさんに感謝をしないといけないと思いました。
うっちゃんは上記のように護衛艦「あきづき」に乗艦や築城基地への招待また佐世保で特殊艦「あまくさ」に乗艦されるくらいのとてもVIPな方で最初にお会いしたのは古民家カフェ「ひとひら」でした。
改めてその縁がとてもラッキーだったなあと思ってます。
ありがとうございました。
塾長より
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その他に自衛隊での体験は対馬では会社の社員10名で陸自体験、ベットメーキングから行進、崖登りなど宿泊訓練、単身赴任生活が終わり福岡に戻り春日原航空自衛隊での体験は佐賀、福岡の県境にある背振レーダードームサイトに入りました。朝鮮半島釜山辺りまでカバーが出来、侵入機があれば築城基地からスクランブル発進すれば5分で有明海上空まで飛んでくるそうです。ご参考まで
うっちゃん体験に基づく貴重な情報のご提供いつもありがとうございます。
大変参考になります。
築城から有明まで5分とは驚きです。