こんにちは!太宰府魅力発見塾塾長の福田です。

今日は来年NHK放映の大河ドラマ「いだてん」について紹介します。

 

熊本県玉名が生んだ「日本マラソンの父」金栗四三主人公の物語りです。

わたしの高校の先輩でもあります。

玉名高校校内の像

 

 

新玉名駅での像の除幕式

 

先日実家の玉名に帰りましたら金栗四三の直筆の書がありました!
わたしの父がもらっていたみたいです。

77才翁の力強い書体ですね!

東京オリンピックを控えて日本人初のオリンピック選手だからでしょうね。

 

タイピンは毎年開催の金栗杯30㌔玉名〜荒尾マラソンの記念品です。

 

ドラマに対する期待

来年放映ということでブログにアップしよう思いいろいろと調べてみました。

それまでは金栗四三は日本初のオリンピック選手で途中棄権、知ってるのはこれくらいで果たしてどういう内容になるのか心もとない気がしていましたけど

①当時世界記録の大記録(2時間32分45秒)を出し、

②オリンピックにも3回出場、

③今も数多くの大会に金栗四三杯が送られておりその中の箱根駅伝では最優秀選手に対して金栗四三杯が贈呈されてるのは今でもマラソン界に対する功績の大きさを称えると同時に人間的にも尊敬されているのだなと改めて思い直しました。

またもう一人の主人公田畑政治については小説「東京オリンピックを呼んだ男」作家 高杉良(小説では和田勇 )以前読んで涙が涙が止まりませんでした。

こちらもドラマに加え二人が織りなす人間模様がみられるのかドラマに厚みと深みを見る人を楽しませてくれると思うと期待で待ちきれません。

 

大河ドラマ「いだてん」

2人の主役をリレーしながら、「知られざるオリンピックの歴史」を描きます。

 

「オリンピックに初参加した男金栗四三」(かなくり しそう)。

 

 

金栗四三を演ずる中村勘九郎

 

「オリンピックを呼んだ男」田畑政治」(たばた まさじ)

 

田畑政治を演ずる阿部サダヲ

 

 

「いだてん」 のあらすじ

「オリンピックに初参加した男」 金栗四三と「オリンピックを呼んだ男」 田畑政治。

日本のオリンピックは、マラソンの金栗四三と陸上短距離の三島弥彦、たった2人の選手から始まった。まだ「スポーツ」の言葉もなかった時代。1912年に初参加した「ストックホルム大会」で、金栗は日射病で失神、三島も大惨敗でした。

だが、そこから持ち前の根性で猛勉強、日本はスポーツ大国へと成長していく。1936年の「ベルリン大会」では、水泳の前畑秀子をはじめ金メダルを量産。念願の「東京オリンピック」招致を勝ち取りました。

しかし、時代は戦争へと突入していき、夢は幻と消えてしまう。 敗戦。田畑は蛙と芋で飢えをしのぎ、執念で競技を再開。ついには、1964年の「東京オリンピック」を実現します。

戦争、復興、そして平和への祈り。オリンピックには、知られざる日本人の泣き笑いの歴史が刻まれている。ドラマでは、1912年「ストックホルム」から、1936年「ベルリン」、1964年「東京」までの3大会を中心に、激動の52年間を描いていきます。(インターネットより)

 

金栗四三略歴

旧制玉名中学を卒業後、1910年(明治43年)、東京高等師範学校(現・筑波大学)に入学する。

1911年(明治44年)、金栗四三は翌年に開催されるストックホルムオリンピックに向けたマラソンの予選会に出場し、マラソン足袋で当時の世界記録(当時の距離は25マイル=40.225キロ)を27分も縮める大記録(2時間32分45秒)を出し、短距離の三島弥彦と共に日本人初のオリンピック選手となった。

 

金栗四三のオリンピックにおける記録

・第5回 ストックホルム大会(1912年(明治45年)~1967年(昭和42年)) –

一時行方不明 (最下位54年8ヶ月6日5時間32分20秒)

・第7回 アントワープ大会(1920年(大正9年)) 16位(2時間48分45秒)

・第8回 パリ大会(1924年(大正13年)) – 途中棄権

 

1912年(明治45年)のストックホルムオリンピックでは、レース途中で日射病により意識を失って倒れ、近くの農家で介抱される。金栗が目を覚ましたのは既に競技が終わった翌日の朝であった。

このため金栗はレースを諦めざるを得ず、そのまま帰国。

1967年(昭和42年)3月、スウェーデンのオリンピック委員会からストックホルムオリンピック開催55周年を記念する式典に招待された。ストックホルムオリンピックでは棄権の意思がオリンピック委員会に伝わっておらず、「競技中に失踪し行方不明」として扱われていた。

記念式典の開催に当たって当時の記録を調べていたオリンピック委員会がこれに気付き、金栗を記念式典でゴールさせることにしたのである。招待を受けた金栗はストックホルムへ赴き、競技場をゆっくりと走って、場内に用意されたゴールテープを切った(日付は1967年3月21日)。

この時、「日本の金栗、ただいまゴールイン。タイム、54年と8ヶ月6日5時間32分20秒、これをもって第5回ストックホルムオリンピック大会の全日程を終了します」とアナウンスされた。

54年8か月6日5時間32分20秒という記録はオリンピック史上最も遅いマラソン記録であり、今後もこの記録が破られる事は無いだろうと言われています。

金栗はゴール後のスピーチで、「長い道のりでした。この間に孫が5人できました」とコメント。

 

金栗が残したその他の有名な言葉として「体力、気力、努力」がよく知られています。

 

晩年、金栗は故郷の玉名市で過ごし1983年(昭和58年)11月13日、92歳でその生涯を閉じた。

生前の1969年(昭和44年)に、金栗本人が卒業した旧制玉名中学を継承した熊本県立玉名高等学校の敷地内に銅像が設置され、金栗が出席して除幕式が行われました。

熊本県立玉名高等学校

 

金栗の功績を記念して富士登山駅伝及び東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝)に「金栗四三杯」が創設されている。

富士登山駅伝では一般の部の優勝チームに対して金栗四三杯が贈呈されている。

また、箱根駅伝では2004年(平成16年)より最優秀選手に対して金栗四三杯が贈呈されている。このほか「金栗記念選抜中・長距離熊本大会」や「金栗杯玉名ハーフマラソン大会」のように「金栗」の名を冠した大会もある。(インターネットより)

 

玉名市のいだてん大河ドラマ館には、ドラマで使用された小道具や衣装などを展示、ドラマの世界観を体験できる。

和水町の金栗四三ミュージアムは、金栗氏が実際に使用したユニフォームの展示など等身大の視点で紹介する。

また金栗氏が生家から南関町にあった高等小学校まで駆け足で通った往復12キロの金栗四三ロードと呼ばれる通学路もある。

 

大河ドラマ「西郷どん」が終わり寂しい思いでしたけどわたしと同じ高校の出身ということもあり期待でいっぱいです。

みなさんもどうぞご覧ください。

 

PS 大河「いだてん」 経済効果102憶円(日銀熊本支店が試算)

大河ドラマ「いだてん」が放送されるのを契機に観光客が増え、熊本県で102憶円の経済効果が見込まれると発表した。

このうち「いだてん大河ドラマ館」(熊本県玉名市)など関連施設への来訪の効果は34憶円程度と試算した。

一方西郷どんの経済効果は258億円と試算(九州経済研究所)。




塾長より

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