こんにちは!大宰府魅力発見塾塾長の福田です。

日本一周のまいまいさんから北海道の写真パートⅡが送ってきました。

 

以下まいまいさんのメールです。

富良野

お友達とトミタファームや中富良野のラベンダー、お花畑を鑑賞してきました。

 

 

 

 

翌日のイベント前に数人のスタッフと宗谷丘陵、エサヌカ線を走り、ウスタイベ千畳岩へ向かいました。

下の地図の

上の右の〇印がウスタイベ千畳岩

左上の〇印が「氷雪の門」と「九人の乙女の碑」

・前回パートⅠは函館→羊蹄山を眺め→小樽→富良野

・今回パートⅡは富良野→ウスタイベ千畳岩→稚内へ

 

一路ウスタイベ千畳岩へ

まいまいさん愛車のバイク。音がとてもカッコイイです!dododdoddo!

 

 

こちらは黒牛ですね。

 

 

ウスタイベ千畳岩(北海道枝幸町)

ウスタイベ千畳岩は一面に畳を敷きつめたような巨大なブロック状の安山岩が波打ち際まで広がっています。この安山岩は1300万年前に噴火した溶岩がゆっくりと冷えて固まったもので、その奇観から周囲は北オホーツク道立自然公園に指定されています。ウスタイベ岬は視界を遮るもののない、だだっ広い平原が広がり、そこには無料のウスタイベ千畳岩キャンプ場があります。冬には間近に流氷を眺める流氷見学のポイントにもなります。

 

 

 

 

五右衛門風呂は、稚内のゲストハウスにあります。そこのパパちゃんとママちゃんが還暦を迎えられるということで、翌日のイベント前に向かいました。

 

パパちゃんとママちゃんは20年前まで枝幸(ウスタイベ千畳岩近く)というところでライダーハウスをされていて、その時代のライダーがたくさんお祝いにかけつけその日の夕方、打ち上げ兼サプライズパーティーが始まりました。

 

ママちゃんは、フラダンスの先生でこの翌日にお祭りでステージがありました。

 

シジミとりへ

 

氷雪の門ひょうせつのもん

稚内にあり日本領土だった樺太で亡くなった日本人のための慰霊碑です。

 

 

九人の乙女の碑

これも稚内にあり1945年8月20日に樺太真岡町の真岡郵便局で自決した9人の電話交換手の慰霊碑です。

1945年8月20日、樺太真岡へのソ連軍侵攻に際し、真岡郵便電信局にて連絡業務のため残留していた電話交換手の女性12人のうちの、9人が青酸カリなどを用い自決しました。終戦後5日目のことです。

慰霊碑の中央には、乙女達の別れの言葉「皆さん これが最後です さようなら さようなら」と刻まれています。

まいまいさんは樺太の方向を向き姿勢を正して黙とうを捧げているのでしょうか。

 

 

ホタテ漁師さんが持ってきてくれたbigなホタテをいただきました。

 

新鮮でこんな美味しいホタテ食べたのは初めて!

 

8/5乗船し青森へ。

 

 

まいまいさん北海道縦断の写真ありがとうございました。

富良野のラベンダーは満開で、稚内ではライダー仲間とパパちゃんママちゃんの還暦祝いとライダー仲間の絆は強いですね。

終戦記念日を前に思いを馳せて!

太平洋戦争の爪痕は九州では米国による沖縄、広島、長崎に色濃く残っていますけど、北海道ではソ連により氷雪の門、九人の乙女の碑として残っていますね。

本土(沖縄を含む)襲撃で多くの尊い命を亡くすことになる沖縄上陸の前になぜ降伏しなかったかと今でも理解できません。

今後は青森へ渡られるとのことでご無事をお祈りしています。




塾長より

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